■1.5章|3


 夜になると、ゲルダに現代の人間界のことや、勉強を懇切丁寧に教えてもらいました。
 今いる場所は人間界全土から見て北部にあること。現代は1900年であるらしいこと。硬貨や紙幣、国ごとの歴史や文化のこと。仕事のことや、生きていく術。
 ヴァッサーゴとロウズは興味深く思いながら、ひとつひとつ頭に刻んでいきました。
 そのようにして、あっという間に三カ月が流れました。
 今日は休日です。
「今日は街へ買い出しへ行く日だ。外の世界がどんな様子か、直接目にしておいたほうがいいだろう」とゲルダに誘われ、すこし東にある街まで、馬車で一緒に連れて行ってもらいました。
 ロウズは車内ですこしそわそわしています。
 今は長い髪を一本に束ね、服装は古着のシャツにズボン、上からはフード付きのマントを羽織るという、まるで男の子のような恰好をしています。すべて出かける前にゲルダが用意してくれたもの。
『女の恰好のまま街にでていくと、教会関係の人間にばれるかもしれないからね。何があっても男のフリをするんだよ。フードは目深にかぶること』
 そうアドバイスをもらい、借りた服に着替えると、普段の可憐な雰囲気とは真逆の活発な容姿になりました。
 馬車に揺られながら、ロウズは心配そうに心の中でつぶやきます。
「もうちょっと化粧、気合い入れたほうがよかったかしら」
「ロウズは心配性だな。大丈夫、ここまで変わったらばれないさ」
 出かける前、ゲルダが泥から作った化粧品をもらって、わざと日焼けや肌荒れがして見えるように念を入れて顔に塗りつけました。肌が白くて綺麗なロウズの印象を変えるためとはいえ、ヴァッサーゴは少しもったいないと思いましたが、彼女自身はとくに抵抗なさそうなのが印象的でした。
 そうこうしているうちに街が近づいてきます。
 人々のざわめき、食べ物の香り、誰かが演奏しているであろう音楽。いろんなものが風に乗って運ばれてくると同時に、不安感は一気に吹き飛び、ワクワクと胸が高鳴ってきました。
 門をくぐり街の中に入ると、休日だからか大規模なマーケットが開かれている様子で、色とりどりのテントが目に鮮やかに映りました。
「ヴァッサーゴ、見て、楽しそう。アナナスからマーケットの話は聞いていたけれど、こんなに賑やかなものだったなんて」
大きな声で客を呼ぶ店の人たち、おいしそうな食べ物が並ぶ屋台、追いかけっこする子供たち、大道芸をしている一座、その様子を絵に描いている人……

 次から次へと流れる楽し気な光景にロウズはすっかり目を奪われました。
「人間界は楽しいところだな。魔界にも市場はあったけど、どこか陰鬱な雰囲気だったからなぁ」
 そう言いながらヴァッサーゴは、魔界の城下町にある、奴隷商と賭博がはびこる市場を思い出していました。それから、ゲルダの家でひとり留守番をしているチップのことも思い出し「みやげ話を聞いたら、絶対『オレも行きたかった』って言いだすぞ、あいつ」と苦笑しました。
 馬車が停止し、ゲルダが声を張り上げます。
「さあ、今から買い出しを手伝ってもらう。荷物持ち、しっかりたのんだよ」

「ゲルダさんひさしぶり。おや、そっちの男の子はお孫さんかい?」
 果物屋の気さくな店主に話しかけられ、一瞬ロウズとヴァッサーゴはどきりとしましたが、ゲルダは動じる様子もなく「ああ、孫のナイトだよ。両親が海外へ出張になっちまってね。本人はこちらの学校に通い続けたいと言うから、私が面倒を見てやっているんだ」と言いました。
 ロウズたちはゲルダの様子を見て、彼女も普段から魔女とは言わず、普通の人間のフリをしているのだろうと察しました。
「そうかいそうかい。そういうことなら今回はおまけしてやろう。年頃の男の子は食べ盛りだからな。あ、そうそう、例の噂は聞いたかい?」
 果物屋の店主がごそごそと商品台の下からポスターを取り出してきて広げました。

 そこには車椅子姿のロウズの肖像画が大きく載せられていたので、三人は心臓が跳ね上がりました。
 肖像画の下には『ロウズ・ブレア お尋ね者』の文字が大きく書かれています。
「これを客に配っとけって、教会からお達しがあったんだ。北にあるノースウェルの名家のお嬢さんに悪魔が憑りついてたって話らしいぜ。そのまま逃げ出して行方不明になったもんだから、いま教会の連中が血眼になって探し回ってるよ。不気味な話だよな」
 店主の話を聞きながら、ロウズはやはり町へ出て来なければよかったと後悔しました。
 それから店主は「ん?」と何かが気になったのか、ロウズたちのフードの中を覗き込んできます。ゲルダは焦って制止しようとしましたが、あっ、と思った時にはフードを強引に捲られていました。
「おまえさん……なかなかの美男子だな。俺の可愛い愛娘を紹介してやってもいいぞ、はっはっ」
 店主は顔を一瞥したあと、豪快に笑いだしたので、三人はほっと安堵のため息をつきました。
 店から離れたあとロウズは「意外とばれないものなのね」と焦った様子でヴァッサーゴに言いました。
「ああ、でもさっそくお尋ね者になってるなんてな。慎重に行動したほうがよさそうだ」

 それから何件か店を回りましたが、ばれないどころか、まわりの人はみんなゲルダの孫だと信じて疑わない様子でした。
『ゲルダおばあさんお久しぶり。今日は素敵なお孫さんと一緒なんですね』
『へえ、ゲルダさんにお孫さんがいたとはなあ』
『目元が涼やかで意志の強そうな顔立ちをしてる子だ。こりゃ将来、立派になるぞ』
 行く先行く先で、そんな言葉の数々を投げかけられました。
 同じ青い瞳、若いころは美しかったであろうゲルダの顔立ちがどこか血縁を感じさせたのでしょう。肖像画のロウズは車椅子に座り、目を閉じていたのも幸いしたのかもしれません。
 しかし、さすがに教会付近には近寄れませんでした。行く先で聖職者を見かけたときはフードを目深にかぶり直し、踵を返しました。
 街に出て判明したことですが、ロウズには意外な才能がありました。優れた目利きの持ち主のようで、店で大活躍したのです。
「同じ値段でも、こちらの品のほうが良いものだと思うわ」と、ずらりと並べられた野菜を感覚的に品定めしていきます。
 指示通り手に取った品は、傷一つなく大きくて綺麗なものばかりだったので、ゲルダは喜びました。
 一方、ヴァッサーゴは力持ちで重い荷物を軽々と持ち上げてくれるので、大助かりでした。
 荷物を持って馬車に戻ると、ゲルダは「私はこれから町人に薬を届けて回らなければいけないから、お前たちは好きに買い物してきな。ほら、報酬だ。お金の使い方はもう分かるね?」と硬貨をロウズたちの手に押し付けました。

 ふたりは焦りました。
「そんな、居候させてもらってる身で報酬なんて受け取れません」
「ほほ、はした金だから安心おし。今日の働きはそれじゃ足りないくらいだよ」
 そう微笑み、その場を離れる彼女の背を見送りながら、ロウズとヴァッサーゴは呆然と立ち尽くしました。
「好きに買い物って……どうすればいいのかしら」
 悩みつつも、生まれて初めての報酬にどこか嬉しそうです。
 すると、ヴァッサーゴが「そうだな、なにかロウズが食べたいものあるか?」と聞いてきました。
「え。そうね……街に入ってすぐに見た、屋台に並べてあった細長いお肉みたいなのが少し気になるわ。とてもいい匂いだったんだもの」
ロウズは屋敷にいた頃、味気ない療養食ばかり食べていたので、強い香りの食べ物に憧れていたのでした。
「よし、じゃあ門近くまで行こう」
 ヴァッサーゴが猛スピードで走ろうとしたので慌てて制止しました。
「あなたが全速力で走ったら、不審がられるわ。普通の人間のフリをしなきゃ」
「ああ、そうか。うーん、めんどくさいなあ」
 そう言いながら、あくまで人間の男性が走れるであろう速度を意識しながら足を動かしました。逆に体が疲れる、とぼやくヴァッサーゴにロウズはくすりとほほ笑み、応援しました。
 無事に屋台についたふたりは下げられた看板の文字を読もうとします。
「やき、そ……あれ、この綴りはなんて読むんだっけ?」「焼きソーセージ、一本100リル、だと思うわ」
 ヴァッサーゴが目を丸くします。
「もう人間界の文字が読めるようになったのか」
「難しい文字の組み合わせはまだ無理だけど、これくらいなら。ゲルダさんに毎晩教えてもらっているおかげね」
「なんだか、何億年も生きてる俺より、ロウズのほうが呑み込みが早いみたいだな……」
 う〜ん、と腕を組みヴァッサーゴは複雑そうです。
「まあいいや。おじさん、焼きソーセージ、二……じゃなかった、一本ください」

 ヴァッサーゴが店主にそう言い、一本分のお金を支払いました。
 店主はほかほかと湯気をたてる焼きたてのソーセージに真っ赤なトマトソースと香辛料をふりかけ、ふたりに渡しました。
 受け取ると、さっそく大きく口を開けて噛り付きます。少しだけ熱さを感じましたが、気にせずそのまま噛みしめると濃厚な味の肉汁があふれ出してきました。
「おお、うまい」と口に出すと同時に心の中で「おいしい!」と喜ぶロウズの声が聞こえてきました。
 ふたりは早々と一本を食べ終え、ヴァッサーゴは満足気に言いました。
「苦労してここまで来た甲斐があったな。まだ金は残ってるし、この調子で買い物を続けよう」
「今度はヴァッサーゴが食べたいものがいいわ」
「うーん、そうだな。俺が食べたいもの……あ、あの看板の絵は!」
 何かを見つけたのか、大きな看板をかかげた屋台目がけて走りだしました。
「あのリング状の絵は……ドーナッツね!そういえば、三年前から食べたいって言ってたものね」
「ああ、あの時からずっと気になっていたんだ。こんな形で叶うなんて」
 浮かれた声でそう言うヴァッサーゴがなんだか可愛くてロウズは微笑みました。
 プレーン、チョコ、ストロベリー、いろんな味のドーナッツが並べてありましたが、ヴァッサーゴが選んだのは、やはりあの時と同じプレーンのドーナッツでした。
 揚げたてのドーナッツにさっそく噛り付きます。
「ああ、ドーナッツってこんな味だったのか!」「生地がふわふわね。優しい甘さだわ」
 幸せそうな二人の声が合唱しました。
 それからドーナッツ片手に広場で繰り広げられている大道芸を見に行きました。初めて見る光景に二人は大はしゃぎです。
 そんな風にして街での午後は楽しく過ぎていきました。

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