■1.5章|4

 「今日はどうだったかい?」
 夕方、帰りの馬車の中でゲルダがロウズとヴァッサーゴに尋ねます。
「とっても楽しかったわ。連れてきてくれてありがとう」
「ああ、いろいろ勉強にもなった。また行きたいな」
 ふたりが満足そうに返事をするとゲルダは優しく微笑みました。
「何回でも連れていってあげるさ。私も楽しかったよ。行く店行く店で皆、お前達を本当の孫だと思い込むから、少し照れくさかったけどね。こんなに笑ったのは何年振りかね……」
 ふと、彼女が遠くを見つめます。そのとき、瞳の端にきらりと光るものが流れたような気がしました。

「ゲルダ?」
 問いかけようとしたものの、すぐに元気な言葉に遮られます。
「さらに東へ行くともっと大きな街があるから、そこにも一緒に行こうじゃないか。そうそう、少し遠いが西の都へ旅行に行くのもいいかもしれないね。あそこは観光地で毎年夏には、移動遊園地が来てねぇ……」
 光の筋はもう見えなくなっていました。
(気のせいだったんだろうか)
 ヴァッサーゴは心に引っかかりを覚えましたが、夕日を見つめると気持ちを切り替えました。
 家に帰るとチップがすぐに玄関に飛んできて、不満げな顔で頬を膨らまし「もう退屈で退屈で仕方なかった!」と三人にぼやきました。
「ほっほ、留守番ご苦労様。今度はチップも連れて行ってあげるよ」
「ぜひそうしてあげて。楽しいところだったわよ」
「ほら、お土産があるぞ」
 ヴァッサーゴはチップにチョコレートの包みとお洒落なポンチョを渡すと、とたんに機嫌を良くしてこう言いました。
「ロウズちゃんが楽しかったなら、留守番を引き受けた甲斐があったってもんだよ。それに留守番中、いいことがあった」
「いいこと?」
「隣の泉に精霊たちが訪れたんだ。俺の仲間だよ。家に招いてさっきまで話し込んでたんだ。今もそこにいる」
「精霊!?」
 チップが指さすほうに振り向くと、敷物の上には、ゲルダからもらった勉強用の大きな地図が広げられていました。しかし、精霊の姿はどこにも見当たりません。
「姿を消しているのかしら。この山に住んでいる精霊たちなの?」
 ロウズは興味深々といった様子でチップに尋ねました。
 精霊のことはおとぎ話などでよく知っていました。風、水、土、火。草や木、無生物、人工物問わず、種々の物に宿ると言われている存在。しかし、彼らが姿を象って現れることはめったにありません。
 彼らがどんな存在なのか、小さい頃から気になっていたロウズは、高鳴る気持ちのまま矢継ぎ早に質問しました。
「人間界の精霊も、チップくんのように動物や人間の姿になったりできるの?人間ともお話できたりするのかしら?」
「直接、聞いてみたほうが早いじゃないかな。おい、精霊のみんな、姿を現しなよ」
 地図のほうへ向かって声をかけますが、しんと静まり返り、誰も返事をしません。
 チップはしかたない、とばかりにチョコレートの包みを見せて「一番最初に姿を現したものに、このチョコレートをやるから!」と叫びました。
 そのとたん、ぼん、ぼん、ぼん、と白い煙が三つあがります。チップと同じ獣のような姿をした精霊たちが一斉に現れ、チョコレートの包みに群がりました。

「はなせ、アタシのものだ!」
「ワシのほうが早かったぞ!」
「ボクが先だい、ねーちゃんとじーちゃんのいやしんぼ!」
 三匹の精霊が包みを奪い合おうとするので、チップはやれやれと肩をすくめます。
「同時だったからみんなにやるよ。一列にならんで。はい、順番な」
 そう言いながらチョコレートを二粒づつ彼らに渡すと、精霊たちはすぐさま嬉しそうに頬張りました。それから、ロウズたちが見つめていることにハッと気づくと、素早くチップの後ろに隠れました。
 チップは困った様子で説明します。
「人間界の精霊たちは臆病で、人を見たらすぐに姿を隠そうとするんだ。ほら、みんな挨拶しろよ」
 彼の頭の陰から三匹同時にそーっとこちらをうかがってきます。ほっぺたはチョコレートでぷっくり膨らんでいました。
「まあ、可愛い。私たちはあなたたちに危害を加えたりしないわよ、安心して」
 ロウズが彼らを見て微笑むと、女の子の精霊が恐る恐る口を開きました。
「あにゃたたひが、ろうずとうぁっさーご?」
「ふふ、お話は食べ終わってからでいいわよ」
 ロウズは可愛くて仕方がないといった様子で言いました。
 一方、チップは珍しく真剣な表情をしてみせます。
「さて。精霊たちも姿を現したことだし、これから皆に聞いてほしいことがあるんだ」

 ゲルダがみんなに紅茶を入れてくれました。精霊たち三匹は恐々といった様子で熱い紅茶に口をつけています。
「それで、聞いてほしいことって?」
 ヴァッサーゴが呆けた様子で三匹を眺めていると、チップが答えました。
「彼らと話しててちょっとだけ有益な情報が手に入ったんだ」
「有益な情報……アナナスに関してか?」
 ヴァッサーゴが息をのみました。
「彼女の生まれ変わりに関して、何か情報が手にはいったのかしら」
 ロウズの声音も知らずと張り詰めたものになります。
「うん。と言っても、今の時代は恐らくまだアナナスは生まれ変わっていない。もう少し先になるんじゃないかと思う。ただ、彼女が生まれてある程度成長してから、この土地を訪れるだろうなって場所は一部だけど分かったんだよ」
 そう言って、先ほどの大きな地図をテーブルに広げます。
 地図には北部中心ではありますが、ペンで丸印が10箇所ほどつけられていたので、ロウズは驚きました。

「街がほとんどね。ここにアナナスの生まれ変わりが訪れる可能性が……一体どうやってわかったの?」
「簡単さ。アナナスは生まれ変わった後も夢を叶えようと薬の研究をしようとするに違いないだろ?薬の勉強ができるよう、医学や薬学が発展した土地へ必ず訪れようとするはずだよ」
「なるほど」
 ヴァッサーゴが納得すると、チップが精霊たちを見つめて説明します。
「彼ら、北部に関しては知らないことがないってくらい博識でさ。彼らから情報を聞き出して、北部の医学が発展している土地は粗方抑えることができたんだ」
 一番年長の精霊が口を開きます。
「ワシらは風の精霊。一時期、風に変化して北部を旅しながら暮らしていたからの。ひとつひとつの街、すべて記憶しておるぞ。印をつけた内、ここから一番近い場所は……このフィールという街じゃな。医学生が大勢いたのを覚えておる」
 老精霊が地図に描かれた大きな街を指さすと、ロウズがびっくりして言いました。
「フィール!アナナスが行こうとしていた医学大学がある街だわ。みんなありがとう。精霊たちの情報網はすごいのね。フィールを含め、印がついた街を訪れていけば、もしかしたら彼女の生まれ変わりと出会えるかもしれないわ」
 チップはフフンと鼻をならしましたが、すぐに真剣な表情になり言いました。
「でも、簡単に見つけることは出来ないと思う。一つの街に何千人と人間がいるんだぜ。彼女が現れる時代だってわからない。それに人間界全土を監視しているイシアイたちもいる。先に彼女の生まれ変わりを見つけられたら」
「その時は、また……」

 ヴァッサーゴとロウズは、あの夜のアナナスの姿を思い出し、肌を粟立たせました。
「だから必ず先に見つけ出さなきゃいけない。それには、オレたちも全土規模で常にアナナスの生まれ変わりと思わしき人物の情報が手に入るように、観察するしかない」
「この広い世界の中から、アナナスと同じく薬作りの才能がある人達だけを見つけださなければならないのね。でも、そんなことどうやって?」
「あっちがイシアイなら、こっちは精霊たちに観察を頼むんだよ。精霊は姿を見せないだけで、空や森、町の中、どんなところにだっている。彼らは仲間意識が強くて、みんな家族みたいなもんだ。同じ種族のオレが事情を説明すればきっと協力してくれるはずだよ」
 それからチップは自身と精霊三匹を交互に指さし、こう続けました。
「精霊は情報伝達力が並みじゃないからな。アナナスの生まれ変わりと思わしき人物が見つかれば、仲間を介してすぐにオレのもとに情報が届くはずだ」
 ヴァッサーゴが頷き、言いました。
「情報が届いたら、俺たちがその場に赴いてその人物と会い、ロウズの過去視で前世がアナナスかどうかを確認する、ということか」
「つまり、私たちが今やるべきことは……アナナスが生まれ変わって成長する前に、この印がついた場所すべてを巡ってその土地に住まう精霊たちと交渉する。そして観察と情報の伝達をお願いする。そういうことね?」
「大変なことになってきたな。それにこの印は北部のみだろ?全土合わせると何ヵ所になるんだろう……頭が痛くなってきたぞ」
「ヴァッサーゴ、チップ。とんでもないことに巻き込んでごめんなさい。でも」
「わかってる。神様に喧嘩売った時点で覚悟は決めたんだ」
「ロウズちゃんとサティさまのためとあらば、こんなもん楽勝だよ」
 精霊たちも顔を見合わせて言いました。
「事情はチップからすべて聞いたわよ。アタシたちも仲間の精霊たちにこのことが広まるよう、伝えていく」
「イシアイに知られないよう、こっそりね」
「チョコレートのお礼もあるしの」
 ロウズは彼らの言葉に「みんな、ありがとう」と微笑み、心からお礼を言いました。

 今までじっと聞いていたゲルダが、焦ったように口を開きます。
「も、もう行っちまうのかい?」
「ええ、近いうちに」
「もう少しだけいられないのかい。勉強もまだ十分に教えてあげられてないし心配だよ。マーケットにもまた連れて行ってやりたいし、それに……」
「勉強は基本的なことは頭に入っているから安心して。ヴァッサーゴはまだ心配なところもあるけれど、私が補助するから」
 そう言うロウズにゲルダは不安そうな表情で言い返します。
「お金はどうするんだい。稼げなきゃ、長旅なんて無理だよ」
「俺たちは不老不死だ。基本飲まず食わずでも大丈夫だから、問題は宿と衣服だな。訪れる街で仕事をもらって、少し稼げばなんとかなりそうだ。移動費もかかるけど、極力走っていけばいい。あとチップのエサ代」
「オレは実体化してない限り、腹は減らないぞ。というか、エサって言うな」
 チップは歯をギリギリさせながらヴァッサーゴを睨みました。
 ゲルダは首を振ります。
「あんたたちはたしかに凄いよ。ロウズは学問や知識をどんどん吸収するし、ヴァッサーゴは身体能力が人間離れしていて疲れ知らずだ。でも、外の世界はお前たちが思っている以上に厳しい。甘くないんだよ。危ないことだって沢山ある。もっとうちで学んでいくべきだ」
「心配しないで。どんなことがあってもくじけないって、もう覚悟は決めているの。ヴァッサーゴは強いから野宿になっても平気よ。前にさ迷った森でも、一度熊に襲われそうになったけどエペタムですぐに撃退してくれたの。それに通常の怪我ならすぐに治ってしまうわ」
「いや。チップの話によると、天界の者たちにも顔を知られてしまったそうじゃないか。お前たちを追って、今後どんな敵が現れるかもわからない。天使には悪魔を傷つける力があるのは、ヴァッサーゴ自身がよく知っているだろう。治癒能力は、奴らには通用しない。前に戦ったアズリやサーリとかいう天使だって、仮面で力を制御された状態だったんだろう。力を解放したら、どんなことをしでかすかわかったものじゃないよ。それに依代に乗り移って別人になりすまし、不意打ちで襲われる可能性だってある」
 ヴァッサーゴは眉をひそめ、ゲルダの荒々しい声に耳を傾け続けました。
「あっそうだ!お前たちにはエペタムがあるだろうけど、チップは武器をもっていないだろう。東の鉱山で鉄がとれるんだ。街に腕のいい職人がいるから、武器を作ってからでも遅くは」
 チップが軽く手を振ります。
「オレはいざって時、霊体化すれば大丈夫。それにちょっとだけ身を守る術だって知ってるんだぜ」
「それでも……」
 ヴァッサーゴは、必死に引き留めようとするゲルダを、険しい表情で見つめました。
「気持ちは嬉しいけれど、早く行動に移りたい。あの時と同じ失敗を繰り返すわけにはいかないんだ」

 普段とは違う、鋭い眼光にたじろぎます。
 ヴァッサーゴはいつもは穏やかですが、意志を固めたときなど、やはり悪魔というべき鱗片を覗かせることがありました。深淵なる瞳は、王族の気高さと威厳も兼ね備え、有無を言わせぬ迫力があります。
「そ……そうかい」
 気圧された彼女はゆるゆると視線をそらし、どこか遠くを見つめた後、顔をふせて窓際へと歩いていきました。足取りはおぼつかず、とぼとぼとしています。
「今日はどうしたんだ。なにか変だぞ」
「ああ、なんでもないよ。なんでも……たしかに今日の私は変だね。街へ行って疲れたのかもしれない。ちょっと気分が落ち着かないから、外の空気でも吸ってくるよ」
 目の端には光の粒。今度は見間違いではありません。ロウズは様子がおかしい彼女を心配し、声をかけようとします。
「あの」
「……」
 ヴァッサーゴは、ゲルダのちょっとした動きを見逃しませんでした。
 棚に置いてある忘却のキノコが入った瓶に手を伸ばしたのです。
「ゲルダ!」
 気付いたときには駆け出していました。
 蓋を開こうとするゲルダの手首をつかみ、すぐさま瓶を奪い取ります。
 ロウズやチップや精霊たちは突然の出来事に目を丸くし、部屋はしんと静まり返りました。
 ヴァッサーゴは冷や汗を滴らせ、深く息を吐きます。
(間一髪だった。部屋に胞子が飛び散ったら、みんな記憶を無くしてしまうところだった)
 はっと我に返ったゲルダが頭を垂れます。

「ああ、私ったら何をしようと……」
 床にぽたりと涙が落ちます。
「……こんなことは間違っているって、馬鹿なことだって、私自身がよく分かっているのに」
「ゲルダ、どうして」

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