■1.5章|5

「……また、後悔したくなかったんだ」
 押し殺した声でそう言ったあと、棚の奥に手を伸ばして古い額を取り出しました。若き日のゲルダと弟子の楽しそうな姿が、潤む瞳に映し出されました。
 ぎゅっと額を大切に抱きかかえ、小さく呟きます。
「今度こそ引き留めなければと思った。お前たちがすべてを忘れてくれたら。本当の孫になってくれたら……そんなことをぼんやり考えていたら、体が勝手に動いていたんだ」
 それから顔をあげ、ロウズに語りかけました。
「……ロウズが初めてここへ来たときのことを覚えているかい。
『お前になど会ったことなどないよ』なんて言ったけど、私はあの時、心の中で動揺していた。ヴァッサーゴが憑りついていることも驚いたが、お前の姿を見て、一瞬、愛弟子が成長して帰ってきたと思ったんだよ」

 ロウズは初対面のとき、ゲルダが驚いた顔でこちらを見つめていたことを思い出しました。
「はじめは、なんとなく雰囲気が似ているだけだと思った。でも、近づいて顔を覗き込むと、涼やかな青い瞳までそっくりだった。『きっと生まれ変わって、私に会いに来てくれたんだ』……馬鹿馬鹿しいかもしれないけれど、そう思った。人間が苦手なのに、お前を家に招き入れて、住まわせると決めたのは愛弟子の面影があったからというのもあるんだよ」
「そうだったの……私のことをそんな風に思っていただなんて」
 愛弟子と自分の顔。絵と見比べると、たしかに似ていました。ロウズは、ゲルダの内に秘めた想いを聞かされ驚きます。
「それからお前たちと過ごすうち、情が湧いていった。あの時、ぽっかり空いた胸の穴が、少しずつ埋まっていくようだった。愚かなことに、この日々がずっと続けば良いと思うようになっていったんだ……お前たちを失うことが、怖かった」
 ヴァッサーゴも目を見開きます。
「愛弟子も、お前たちも、私が気に入った人間達はいつも遠くへ行ってしまう。手が届かない、遠くへ。長い年月、何度も繰り返して慣れたと思っていたけれど、私は全然成長していない。どうか許しておくれ」
 泣き顔を見られまいと、ゲルダが両手で顔を覆いました。
 そのとき、ロウズとヴァッサーゴは気づきました。彼女は、たんに一緒に暮らせなくなり、ひとりきりに戻ることを嘆いているのではない。これから、ロウズたちが命を落とすかもしれない戦いに身を投じ、二度と会えなくなるかもしれないと思ったから、先ほどのような行動に出たのだと。
 同時に分かってしまったのでした。
(ゲルダさんは、人間嫌いなんかじゃない。本当は誰よりも……)
 幾多の出会いを繰り返してきたであろう長寿の魔女。今まで理不尽な別れも数多く経験してきたのでしょう。
あえて人と触れ合わず山奥で暮らしてきたのは、大切な者との別れを恐れているからなのだわ―――
 そう思うと、ロウズは胸が張り裂けそうになりました。
「私もいつまでもここに居たい。私だってゲルダさんのことは本当の祖母のように思って過ごしてきたのだもの。でも、どうしても果たさなければならない。救いたいの、アナナスの魂を」
 言葉をつまらせながらも懸命に話すロウズに、ヴァッサーゴが頷きます。
「治療薬が完成すればロウズの体も治る。ゲルダが生きているうちに元気な姿でまた会うことができるかもしれない。いや、きっと会わせてみせる。その為にも今は前へ進むしかないんだ」
 ふたりの力強い言葉を聞いたゲルダは、彼らの瞳をじっと見つめます。すると、彼らも見つめ返してきました。
「俺たちは絶対に負けたりしない。どうか信じてくれないか」
 真摯な眼差し。戦火の故郷目がけて走り出す、あの日の愛弟子の姿と重なりました。

『師匠、ありがとうございました。師匠から教わって作ったこの薬で、ひとりでも多くの人を助けてみせます』
 これから戦地に赴くというのに、一点の曇りもない表情でそう言い切った彼女。そして、若き日の自分が、愛弟子の実力を心から信じ、堂々と送り出したことも、鮮やかに思い出したのです。
『まったく嵐みたいな子だね。行っておいで。あんたの薬は効き目がいいって評判だからね。きっと大勢の人が救えるはずさ!』
『師匠なら、そう言ってくれるって信じてました。戦争が終わったら必ず帰ってきます!』
 大きく手を振りながら去っていくその姿を、見えなくなるまで見送りました。いつまでもいつまでも、彼女を誇りに思いながら。
 その半年後でした。彼女の訃報が届いたのは。
 しかし、訃報とともに、彼女の薬で一命をとりとめた人たちのお礼の手紙も、数多く届いたのでした。手紙には、彼女が『魔女のゲルダに薬の作り方を教えてもらったんだよ!』と胸をはって話していた、と記してありました。
 ゲルダは心の中でつぶやきます。
(ヴァッサーゴはロウズの命を。ロウズはアナナスの魂を。そしてアナナスの魂は、病に苦しむ人々を救おうとしている。目的は違えど、あの子も一人でも多くの人を守りたいと願っていた。まっすぐに夢だけを見据えていた。あの子のそんなところが眩しくて、私の誇りだった。あの時、私が止めたとしても、きっと答えは変わらなかっただろう)
 静かに瞳を閉じます。
(大切な人を信じること。誇りをもって、送り出すこと。後悔ばかりですっかり忘れていた。私は愚かだ。ロウズやヴァッサーゴのためではなく……自分のために引き留めようとしていた)
 時が止まったような、静寂な時間が流れました。
 しばらくしてから意を決したように顔をあげると、心配するロウズに向かって精一杯の笑顔を作ってみせました。
「ありがとう、すべて分かっているよ。もう大丈夫。私の事は気にせずお行き。親友の夢を叶えてあげたいんだろう」
「ゲルダさん……」
「ヴァッサーゴ。ロウズを守っておやり。絶対に、彼女の命を手放すんじゃないよ」
「ああ、もちろんだ!」
 ゲルダは彼の意志を確認すると、安堵した表情になりました。
「お前たちのこと、信じているからね」
 それから、今までの空気を振り払うように、両手を広げて言いました。
「この老いぼれにも協力させてもらえないかね。ずっと旅を続けるのは辛いこともあるだろう。そんなときは帰っておいで。あたたかい食事と寝床を用意していつでも待っているよ」
 彼女が柔らかい眼差しで三人を見つめ、それからかぶりをふりました。
「……いや、またお前たちと暮らしたいんだね、私は。なんにせよ無理はするんじゃないよ」
 それを聞いたロウズは「ゲルダさん、本当にありがとう。きっと帰ってくるわ」と一粒涙を流しました。

 それからしばらくして、ロウズたちは旅立ちました。
 汽車の座席で昼飯を食べ終えたロウズは、ふと何かが気になったのか、バッグから手鏡をだすようヴァッサーゴにお願いしました。ロウズがマーケットの露店で気に入り、お土産にと買ったものです。それから鏡面をじっと見つめるように指示します。

「やっぱり自分の前世の姿は、見えないわね」
 他人の過去は視えるのに、自分の過去は何一つわからないなんて、とがっかりします。
 ヴァッサーゴが首をかしげました。
「自分の前世が気になるなんて、突然どうしたんだ?」
「ねえ、ゲルダさんは、その……私のことを愛弟子の生まれ変わりだと思ったから、あんなに可愛がってくれたのかしら」
「ああ、そのことか。そうだな……どうなんだろう」
「あの子と私を同一視していたのだと思うと、すこしだけ複雑な気持ちになってしまうの。私は私であって、あの子じゃないから……」
 ヴァッサーゴは心の中でほんのすこし、 羨望めいたものを感じ取りました。きっと愛弟子に対してなのでしょう。それは『他人の代わりとして見てほしくない。自分を自分として好きでいてほしい』という、彼女の純粋で当たり前の欲求でした。
 ヴァッサーゴは悩みつつも、返事をします。
「ゲルダがどう考えていたのかは分からない。ただ、ロウズだって、これからアナナスの生まれ変わりと出会うことになる。どんな人物かわからない。アナナスのように、善い奴かもしれない。逆に、ろくでもない奴かもしれない。生まれ変わりと出会ったとき、ロウズがどう思うか、どう感じるか……それから、ゲルダの気持ちを考えてみるのも悪くはないんじゃないか」
 ロウズは、はっとしました。
「アナナスの魂を持つ人。善い人ならいいけど、そうじゃないなら。そんなこと、考えたこともなかった。もちろんどんな人であれ、生まれ変わりを守る使命は果たす。でも、アナナスのときのように仲良くなれるとは限らないわ」
 彼女の魂を持っているからと、無条件で好きになれるなどという自信は、到底ありませんでした。
「それに、私はアナナスだから……彼女の明るい性格やまっすぐな生き方に惹かれたから好きになったの。同じ魂でも人格が違えば、また感じ方は変わってくると思う。それは、間違いないわ」
「なんだ、答えは半分出ているじゃないか。俺はゲルダも同じだったと思うよ。家に住まわせた理由は、愛弟子の生まれ変わりだと思ったからかもしれない。でも、ロウズだったから、きっと好きになったんだ」
 ヴァッサーゴが笑うと、ロウズはようやく納得したように、小さくうなずきました。
「……そっか。そうだったらいいわね……あら?」
 ロウズはバスケットの底に布の袋が入っていることに気づきます。
 開けると、ゲルダからの手紙と、夏の濃い青空を思わせる美しいリボンが入っていました。リボンの裏地には、綺麗な紋様が織り込まれており、香を焚き染めたような不思議な香りがしました。
『愛しい孫たちへ。昼食は食べ終わったかい。あの時のこと、どうか許しておくれ。お詫びになるかわからないが、このリボンをお前たちのために織った。ふたりとも、青色が好きだと言っていたね。髪飾りにお使い。ロウズだって女の子だから、これぐらいのお洒落は許されるだろう。特別な術を込めて作ったから、きっと危険から身を守ってくれるはずだ。幸運を祈っているよ』

 ロウズは「愛しい孫……」と繰り返します。
 ゲルダはロウズたちのことを『孫にしたい』と言えど『弟子にしたい』とは思っていないようでした。
 それに、昼食に自分たちの好きなものばかりを作ってくれたこと。大好きな青色のリボン。すべて、ロウズたち個人をしっかり見ていないと、分からないことばかりです。
 そのことが、ロウズに確かな救いをもたらしたのでした。
 ふたりは、ゲルダの心遣いに胸が温かくなります。
 リボンをきゅっと髪に結び終えると、今まで以上に気が引き締まるようでした。
 爽やかな風が流れ込んでくる車窓を覗きこむと、向こうからどんどん大きな街が近づいてきました。
 現れたのは、北部で医学が栄える街、フィール。
 ロウズは街を見据え言いました。

「ぜったいにアナナスの魂を見つけてみせる」
「ああ、彼女が生まれて成長するまでの数年間が勝負だ。イシアイより先に正確な情報が得られるよう、精霊たちに交渉をがんばらないとな」
「人間のことを警戒しないかしら。すこし心配だわ」
「臆病な精霊が多いのは事実だけど、大丈夫。このチップさまがいればなんとかなるって」
 たのもしいな、とヴァッサーゴが笑うと、高らかな汽笛がなりました。
 汽車が停止すると彼らは荷物を持って座席を立ち、新たな土地へと降り立ちました。

1.5章 終

4 裏話

もどる

 

inserted by FC2 system