■1章|14


 深夜、アナナスは寝つけずに、焼け焦げた研究室の前で呆然と立ち尽くしていました。
 何度確認しても、思い出の場所も、苦労して作り上げた薬も、作り方を記した書類も、黒い煤に沈んでいるだけです。
 アナナスの母親が心配して家から出てきました。
「アナナス、今は薬のことは忘れなさい」と言い聞かせます。
「でも、私がもう少し気を付けていれば……ロウズだけじゃなく、ジルの期待まで裏切ってしまった」
「ジルに薬のことを話してしまったのね。でもあなたのことを咎めないと思うわ。それより、無くなったものはもう返ってこないの。また薬を一から作り直すほうが確実でしょう。今は休んではやく元気なアナナスに戻ることが大事ではないかしら」
 アナナスはそのとおりだと思いました。彼女の頭をなでてから「早く寝るんですよ」と家へ戻っていく母を眺めます。
 深くため息をつき、自分も家に帰ろうと思った時、なにか違和感を感じました。
『ジルに薬のことを話してしまったのね』と言う母。
 私が話したと思っているということは、母はジルに話していない?じゃあなぜ彼は知っていたのか。
 そう思ったとき、うしろに何者かの気配を感じました。

 驚いて振り向いた瞬間、素早く腕をねじ上げられます。
「あなたは」と言い終わらないうちにみぞおちを強く殴られ、アナナスは気絶しました。


「病気が治ったら、まず最初に自分で服を選びたいわ。いつもメイドさんに任せきりだったから」
 ロウズがそう話すと「じゃあ、とびきりおしゃれをして見せに来てくれよ」と隣の誰かが楽しそうにお願いしてくるので、ロウズはすこし驚いて、それから笑って頷きました。
 数か月前、あの希望ある未来を知らされた、すぐ後にした会話でした。
 ただ場所はあの日と違っています。すぐに夢の中だと気付きました。なぜなら目の前には青空が広がっていて、隣には牢から出ているヴァッサーゴがいたからです。
 ロウズが普段見ている世界は、いつも黒か白か灰色でした。不思議な存在も、過去視をした光景も、すべて輪郭のはっきりしない煤けたモノクロームなのですが、夢の中だけは不思議と色がついていることがありました。
 物心つかない頃に視力をなくしたので、想像がもたらした映像だと理解しつつも、目の前の青空は息をのむほどリアルです。
 ヴァッサーゴのお願いに頷いたものの(突然、おしゃれなんてできるかしら)とロウズは心配でした。
 ふと、彼の好きな色が気になって尋ねました。
「ねえ、ヴァッサーゴは好きな色ってある?」
 彼は空を指さして「青」と答えました。
「人間界に来たときに一番感動したのはこの青空だった。魔界はいつも夜で黒い空だからな」
(この色は私も好きだわ。涼やかで、爽やかで、見ているだけで気持ちが晴れていくんだもの)
 ロウズは青い服を着た自分の姿を見てもらいたいと思いました。アナナスにも一緒に選んでもらおう。ふたりでショッピングする光景を想像して胸躍りました。
 ヴァッサーゴは微笑み「楽しみにしてる」と、あの日と変わらない返事をくれました。

 ロウズは泣きながら目を覚ましました。すっかり夜はふけています。
 まぶたの裏にヴァッサーゴの微笑みが焼き付いています。疑ったことに罪悪感がわいてきました。
(どうしても、彼が悪い悪魔には思えないわ)
 きっと何か事情があって未来視が外れたに違いないと思いました。
 彼女はふと考えます。
(そういえば、ヴァッサーゴは人の未来しか見えないと言っていなかったかしら)
 ロウズも人以外、悪魔や妖精などの不思議な存在の過去は視ることが出来ないので、そこがひっかかりました。なにか、人ならざる者の影響があって、途中で未来が変わったとは考えられないだろうか。
(またヴァッサーゴに会って真実を確かめたい)
 そう思ったときでした。
 窓からふたつの光がすり抜けて入ってきます。ロウズと昔から仲良くしている妖精たちでした。普段は使用人たちを怖がって屋敷の中に絶対入って来ないのに、焦った様子でロウズのもとに飛んできます。

 どうしたの、と言いかけて、そういえば声が出ないことを思い出しました。
 妖精や悪魔とは心の中で会話ができたので、直接心で問いかけます。
「ロウズ、大変よ!ついさっき、アナナスがフード付きの外套に身を包んだ男に抱えられて、連れ去られるところを目撃したの!」
 焦ってそう言うルナの言葉を聞いて、頭の中が真っ白になりました。
 ソルも震える声で話を続けます。
「それだけじゃない。腰には大型のナイフが下げられていた。もしかしてあいつ、アナナスを……」
 ロウズは戦慄し(彼女を付け狙う者の仕業だわ!)と確信しました。
「男は町はずれのバラ園のほうへ向かっていった。どうしよう、ロウズ」
 あのバラ園は子供の頃にアナナスに連れられて遊びにいったことがありますが近年は手入れされておらず、人が立ち入ったことがないと聞いていました。
 ロウズは(人気のないところへ連れて行って殺すつもりなんだわ)と寒気がしました。
 何とかしなければ。そう思うものの、こんな体では助けるどころか、返り討ちに合うのが関の山です。大きな声でメイドを呼ぼうとするものの、口からはヒュウヒュウと虚しく空気が漏れるだけでした。
(これではアナナスが連れ去られたことを誰にも伝えることが出来ないわ。それこそ、心の中で話せる者ぐらいしか……)
 そう思った時、ヴァッサーゴの笑顔が真っ先に浮かびました。彼が今そばにいたなら、きっとアナナスを助けてくれようとしたに違いないでしょう。
 しかし、彼は牢の中。武器のエペタムだってどこにあるのかわかりません。そんなことは夢物語です。
「ヴァッサーゴ……」
 すがるように彼の名を心の中で呟いた瞬間、とつぜん周りに禍々しい気配を感じました。昔から気配を感じていた、無数の目がまた現れたのです。

 ロウズは驚きました。この目が「ヴァッサーゴ」という名前に反応して現れたように感じたからです。そういえば以前、ジルに触られそうになり、この気配を感じたときも、心の中で彼に助けを求めて名前を呼んだ時だったと思い出しました。
「あなたたち、ヴァッサーゴを知っているの?」
 そう心の中で問いかけると、部屋中を埋め尽くさんばかりに、目がどんどん増えていきます。
「やはり彼のことを知っているんだわ」
 この屋敷内で自分以外に彼を知る者がいるなんて、とロウズは驚きました。
「一体何者なのかしら。人ではない何か。彼を知る者といえば……」
 ヴァッサーゴのお兄さんのアガレス、それとも魔界の王?いいえ、王族の彼らが人間界の屋敷に昔からいるのは変だわ。とかぶりを振ります。しかもこんなに無数の目。何者なのかまったく見当がつきませんでした。
(アガレスと王以外で、彼に関係するもの。人間界、それもこの屋敷に昔から存在していてもおかしくないもの……)
 そう考えた時「もしかして」とあるひとつの推測が頭に浮かびました。
 もしかして、あなたたちは。そう言おうとした瞬間、ざあっと目が一斉に動き、向こうへ去っていきます。
「まって」
 ロウズは、軋む体を無理やり起こし、手探りでベッドの近くにある車椅子を引き寄せました。
 病気が相当進行しているのか、少し動くごとに身体中に激痛が走り、顔をゆがめます。なんとか車椅子に移動したロウズは、去った目の後を追いかけ、部屋を出て長い廊下の突き当たりまで行きつきました。
 そこは長い間使われていない部屋の前。今は倉庫のようになっているとメイドから聞いていました。
 無数の目が扉の奥に吸い込まれていったのを確かに見た彼女は、急いで部屋に入ります。しかし、中はしんと静まり返りなんの気配も感じません。黴のにおいが鼻をつくだけです。
 諦めきれず「どこにいるの。ヴァッサーゴのことを知っているんでしょう?」と心の声で叫んでみました。推測が正しければ、彼らはきっと『例のもの』と繋がりがあるはず。そう信じて呼びかけ続けます。
 するとカタ、とわずかな音がしたのを聞き逃しませんでした。そちらの方角へ車いすを走らせると、机のようなものに行き当たったので、その上に迷いなく腕を伸ばします。
 手の先にひやりとした固いものがあたったので、ほこりが手につくのも構わずそのまま左右に動かし確認してみました。どうやら扉がついた大きな鉄の箱のようですが、ノブを回してみても、びくともしません。
 しかし、彼らの気配はたしかにこの箱の中から感じます。
「どうしよう、開かないわ。他になにかないかしら」
 もっとよく探ってみると、ノブの下に小さな円形状のくぼみがあるのが確認できました。
 その中に刻まれた模様。まるで女性の横顔のようなその形に覚えがありました。アナナスからもらったペンダントに彫られているものとそっくりで、くぼみの大きさもちょうど同じなのです。

 「友情の証のペンダントと同じ。もしかして、これが鍵なのかしら。この中に入っているのは、もとは教会にあったものかもしれない」
 期待を胸にロウズは、首にかけていたペンダントを、慎重にくぼみにはめてみました。すると思った通りカチリ、と鍵が開いたので、扉を開け中に入っているものを急いで探ってみます。
 そこにあったのは、横になった棒状のもの。漆塗りの手触りに、所々金と思われる細工が施されています。
 どきん、と心臓の音が大きく跳ねます。
 3年前、ヴァッサーゴに教わりました。この形状は剣と呼ばれるもの。
 ロウズの屋敷の調度品は、彼女が生まれる前からここに置いてあるものだと祖父から教わっています。代々教会と親交が深く、教会関係の美術品の寄贈を受けることが多い彼女の家。熱心な信者であった先祖は、教会関係の品を手あたり次第欲しがり、各地から収集したという話も聞いていました。この鉄の箱も女神の刻印が彫られているので、それを見て引き取ったのでしょう。
 その箱の中に、もとは教会にあったであろう『例のもの』が収められている可能性は十分にありました。そして、この剣から感じる無数の目は、恐らくヴァッサーゴを知っている。
 彼女はそうして導き出したものの名前を尋ねてみました。
「……あなたたちはエペタムなの?」
 恐る恐る問いかけると呼応するように剣がカタカタと震えだします。確かな意思を持っているようでした。
「やっぱりそうだわ。ずっとこの屋敷にあったのね!箱の中にあったのだから、メイドが探しても見つけられなかったはずだわ」

 これがあれば、ヴァッサーゴを牢から解放し、彼にアナナスを助けてもらえるかもしれない。目の前の信じられない希望に胸が高鳴ります。
 あの無数の目が何なのか、考える間もなくエペタムをぐっと握りしめると稲妻のような電流が走り、ロウズの手がはじき返されました。
『触るな。我らはヴァッサーゴ様以外の命には従わぬ』
 無数の声が同時に剣から響き、そう告げるのでロウズは「彼のもとに届けるから、少しだけ我慢してほしいの」と懇願して、一気にエペタムを持ち上げ、自分の胸元に引き寄せました。
『人間のことは信用ならない』
 今度はさっきよりさらに強い電流が走り、ロウズの手が赤く焼けただれました。喉から悲鳴になり損ねた息が漏れます。説得を試みるものの、過去に人間にひどい目にあわされたのか、彼らは聞く耳を持とうとしません。
 今度はエペタムがガタガタと暴れ出すのでぎゅっと抱え込み、そのまま車椅子を部屋の外へ走らせました。妖精が屋敷の出口まで案内してくれるというので、ついていきます。
 鞘からは自ら抜け出せないようでしたが、その間もエペタムは激しく暴れ続け、腕から抜けおちそうになるのを何度も抑え込みました。
 鞘から高熱が発せられ、ロウズの手と腕は見る見るうちに赤く腫れ上がり、皮がはがれだします。あまりの苦痛に歯を食いしばり、涙を浮かべました。
 火傷と病気の痛みに耐えながら、階段横のスロープを降りていき、長い廊下を抜け、勢いよく屋敷の外へと飛び出します。冷たい夜風が頬をなでていくのを感じながら、妖精に連れられヴァッサーゴのもとへと急ぎました。
「アナナス、待っていて。彼ならきっと助けてくれる」

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