■1章|15

 ヴァッサーゴは牢の中から 冷たく光る月を眺めてつぶやきました。
「今日も来ないか……」
 ここ最近は、ロウズに想いを馳せる毎日です。ひとりぼっちの自分に戻り、彼女がどれほど大きな存在だったのか、身に染みて理解したのです。病気の彼女に万が一のことがあったら、と思うと居ても立ってもいられませんでした。
「くそ、エペタムさえあれば」
 もう何万回も考えていることですが、硬い鉄の牢の結界からは出られず、どうしようもありませんでした。
(また、孤独な日々がやってくるのか。明日も明後日も、変わらない毎日が)
 そう思いうなだれたその時です。きいきい、と外からわずかな音が聞こえました。
 並外れた聴覚を持ったヴァッサーゴはすぐにロウズの車椅子の音だと気が付きます。
「ロウズ!」
 そう叫んで急いで牢の外をのぞくと、向こうから車椅子を必死で漕ぐロウズの姿がありました。
「ヴァッサーゴ!」
 彼女も心の中で叫び、息も絶え絶えに牢の前まで来ます。ヴァッサーゴは「よかった、無事だったんだな」とほっとし、それから彼女が手に持つものをみて驚愕しました。
 ヴァッサーゴの姿を確認したエペタムも、驚いたように動きを止め『ヴァッサーゴ様』と叫びました。
「本当にエペタムなのか。ロウズ、これをどこで見つけたんだ」
「事情は後で話すわ。すぐに解放してあげるから扉から離れていて」
 ロウズはヴァッサーゴに指示し、エペタムを鞘から抜き、細身の刃を扉目がけて一気に振り下ろしました。
 しかし鉄の扉は鈍い音をたてただけで切れません。駄目なのか、と絶望した次の瞬間、刃がまばゆく光りだし、どんどん枝分かれしだしました。

 まるで無数の蛇のようにうごめき伸びて、一斉に扉に向かっていきます。
 一本一本の刃が扉を切り裂き、一瞬にして鉄くずの山になりました。
「この蛇たちは……!?」
「安心しろ。剣に憑りついた、俺の使い魔たちだ」
 ロウズの部屋でずっと感じていた視線の主たち。剣には何万という蛇、ヴァッサーゴの使い魔が憑りついていたのでした。
 ヴァッサーゴは鉄くずの山を軽々飛び越え、急いでロウズに駆け寄ります。
 結界越しではない彼と初めて対面し、夢の続きをみているのではないか、と錯覚しそうになりました。

 ヴァッサーゴは、牢から解放された感動に浸る間もなく、ロウズに何があったのか事情を聴きだしました。
 そこで、予知した未来が変わり、彼女の親友であるアナナスが何者かに殺されかけていること、自分に助けを求めに来たことを知りました。
 ヴァッサーゴは「今回の件に、人間以外の者が絡んでいるかもしれない」と言いました。彼もロウズの過去視と同じく、人間以外の未来は視ることができないからです。途中で何者かの介入があり、未来が変わった可能性は十分にありました。
 それを聞いたロウズは、顔を伏せ「疑ってごめんなさい」と消え入りそうな声で謝りました。
ヴァッサーゴは目を丸くした後「悪魔は騙すのが好きな奴らが多いから、賢明だ」と笑い飛ばし「でも俺は大切な親友のことを絶対に騙したりしない」と付け加えました。
 彼女を見つめる黄金色の瞳は、真摯なものでした。

「ありがとう。ヴァッサーゴ」
 ロウズは心があたたかくなり、今後何があってもヴァッサーゴのことを信じようと思いました。
「それにしても、事態は一刻を争うな。アナナスの救出に向かわなくては」
「ええ、彼女をどうか助けてほしいの」
「ロウズの頼みなら喜んで協力するさ。戦闘は得意なほうだ。なにせ何億年も魔界で戦い通しだったんだからな」
 戦いを目前にすると昔の血が騒ぐのか、解放感の興奮からか、早くエペタムを振るいたい気持ちでいっぱいでした。ロウズを置いていくのは気がかりでしたが、相手はたかが一人です。即決着がつくのは目に見えていました。
「すぐに戻る」と走りだしながら彼女に言い、地面に落ちているエペタムを拾おうとしたところ、格好悪いぐらい盛大に空ぶりました。


 ヴァッサーゴは混乱しました。エペタムを持てなくなっていたのです。何度取ろうとしても空を虚しくつかむだけでした。
「何が起こったんだ!?」
 自分の体を見回すと、幽閉された当時にくらべて、ところどころ薄く透けているように見えます。
 長年結界の中に閉じ込められていた影響で力が弱り、霊体化が進み、エペタムさえ持てなくなってしまったのだとすぐに気づきました。
「くそ、こんなときに……!」
 いらだつ彼の言葉を聞きつつ、ロウズは昔、老司祭から聞いた武勇伝のことを思い出していました。悪魔に憑かれ、人並み外れた身体能力を得た幼い少女の話です。この方法しかない、と思いました。
「私ならエペタムを持てる。私の体を使ってアナナスを助けて」とロウズはヴァッサーゴに頼みました。
 自分に憑依しろ、と言う意味なのだと理解した彼は、はっとしてロウズの方を見つめます。
 息も絶え絶えの彼女の願いに一瞬戸惑いましたが、他に憑代を探す時間もなく、ロウズの提案した方法が合理的に思えました。
(病気におかされた身体に上手く憑依できるか心配だが、いちかばちか、やってみるしかない)

 ヴァッサーゴは「わかった」と返事し、自分の額をロウズの額に近づけ、彼女の中に入り込もうと意識を集中させます。
 瞬間、全身の痛みと酷い頭痛、吐き気が彼を襲いました。身体の節々を何本もの杭で打ちこまれ、脳は直接つかまれ鋭い爪を立てられているようです。胸の奥から幾度となく不快感がせりあがってきました。
 ロウズが病気で感じている痛みでした。
(こんなに酷い身体でここまで来たのか)
 衝撃を受けます。
 苦痛に耐えながら、徐々に自分の意識を広げ、彼女の中に入り込んでいきました。
 一方ロウズはどんどん痛みが無くなり、身体が楽になっていくのを感じていました。悪魔に憑かれるのは不快感を伴うと聞かされていたのに、まるで、やわらかい獣の毛にくるまれているような安心感があります。
 緊迫した状況にも関わらず、こんなに心地良いのは何年ぶりだろう、と彼に身をゆだねました。


 ロウズを憑代にすることに成功したヴァッサーゴは、ゆっくりと車椅子から立ち上がりました。
 長年閉じられていた目を恐る恐る開きます。月明かりが少し眩しく感じますが、夜なので光による痛みはほぼありません。
「目が……見えているわ」
 ロウズが驚いて心の中で呟きます。
 ヴァッサーゴが身体の動作の主導権をにぎっているものの、ロウズと意識や感覚は共有しているので、彼女にも同時に目の前の光景が見えていました。
 肉眼で見た世界に感動する間もなく、驚くことが起こりました。手の平のやけどがどんどん治っていくのです。病気による身体の痛みももうどこにも感じません。
「これは、どういうこと。ヴァッサーゴが私の中にいる影響なの……?」
 改めてヴァッサーゴは不思議な力を持った、不老不死の悪魔なのだと身を持って実感します。
 彼は、長い間離れ離れだった愛剣を大切に拾い上げました。憑依の様子を見ていたエペタムは主人と認識したようで、大人しくしています。
 そして、心の中でロウズに語りかけました。
「俺が動くから、君が行動を指示してくれ」
「わかったわ」
 ロウズは凛とした声で返事し、ヴァッサーゴと共に前を見据えました。

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