■1章|17

 腕から手首にかけて突然激しい痛みを伴い、アズリは悲鳴を上げました。一歩遅れて依代にしているジルが斬りつけられたことを理解します。
 アズリは反射的に怪我をしたほうとは逆の手でナイフを拾い、襲い掛かってきた人物に狙いをさだめ、勢いよく振りかぶりました。
 頭上に気配を感じたロウズが「ヴァッサーゴ、逃げて!」と心の中で叫ぶと、ヴァッサーゴはすばやく身をひるがえし、その場から離れました。ほぼ同時に、彼らが元いた場所に鋭い刃がひゅんと空振ります。
 ヴァッサーゴは冷や汗を流しました。自分が攻撃を受けるとロウズの体を傷つけることになり、同時に彼女も痛みを伴うことになる。そう考えると慎重に行動しなければなりませんでした。
「ジル、一体どうしてしまったの!?」
 ロウズはいつもと違う、うつろな目をした彼に向かって叫びました。
 ジルがこちらを見つめたとたん、一気に足を前に踏み出し、ナイフを縦一文字に振ってきたので、ヴァッサーゴがさらに後退します。勢いあまってよろけたジルの隙をつき、今度はヴァッサーゴが彼のナイフ目がけて刃を前に突きだしますが、すんでのところで一歩引かれ、かわされてしまいました。
 まるで操り人形のようにぎこちなく動く彼を見てヴァッサーゴは呟きました。
「この人間、どうも様子がおかしい。もしかして、俺たちと同じようにこいつの中にも……」
 アナナスの傍に立ったアズリは、隙を見計らいジルの体から離れます。天使の姿に戻った彼は、手の平からまばゆく光る帯を放出しました。光はじわじわと変化し、長い棒の先に湾曲した刃物がついた鎌の形になっていきます。
 一方、アナナスの胸のあたりからは、炎のような握りこぶしほどの球体がふわりと浮かび上がってきました。それは、光る長い糸でつながれており、まるで小さな風船のようです。
 アズリは光り輝く鎌を構えると、糸に向かって刃を振り下ろし、球体を彼女の体からすばやく切り離しました。それを手にし、急いでロウズたちから距離を取ります。

 自由の身となったジルが意識を取り戻し「ロウズ!?なぜここに」と叫んだので、ロウズとヴァッサーゴは煌々と光る眼で彼を見つめました。
 彼女が持つ血に濡れた剣と、流血している自分の腕を見比べたジルは、恐怖からとたんに錯乱し、その場から転がるように逃げていきます。
 一連の様子を見たヴァッサーゴは「天使が依代にしていたのか」と驚き、ロウズも「彼がジルの体を借りてアナナスを殺したのね」と声を震わせます。ふたりともやはり人間以外の者の介入があったのだと納得します。しかしなぜアナナスを、と疑問に思いました。
 ロウズは、天使が持つ炎のような球体が気になり、とっさに過去視をしました。
 アナナスの今までの人生の映像が、頭の中に勢いよく流れ込んできます。あれは、まぎれもなくアナナス自身、彼女の魂だとわかりました。
 見られていることに気づいたアズリは、魂を小瓶のような容器に入れ懐にしまい込み、急いで踵を返して去ろうとします。
「あの炎はアナナスの魂よ。取り戻せば息を吹き返すかもしれない」
 ロウズから指示を受けたヴァッサーゴは、すぐさまエペタムに命令し、アズリを捕えようと、刃から無数の蛇たちを彼に向けて伸ばしました。

 突然、こちらに勢いよく迫ってくる蛇に驚いたアズリは、避けるため素早く横に飛びます。そのまま身を反転させ、持っていた鎌をさっきまでいた場所に向けて勢いよく一振りしました。
 光の鎌で切りつけられた蛇たちは一匹一匹が砂のように崩れ、消えていきます。
「この少女は……この剣は一体」
 いつの間にか速く脈打っている心臓を落ち着かせながら、アズリは呟きました。
 ヴァッサーゴは「エペタムが切られた。こんなことは初めてだ」と舌打ちし、もっと距離を詰めようと走り出します。
 しかし、彼に気を取られ、うしろから忍び寄る影に気が付きませんでした。マリィを依代にしたイシアイが、ロウズたちを後ろから取り押さえます。

 その様子を見ながら、アズリは困惑していました。
 生まれつき不思議な力を持つ人間は少なからずいると勉強していましたが、こんなに奇妙な剣を操る者がいるとは知らなかったからです。
 剣から感じる気配は禍々しく、天使である自分をも傷つける恐れがあると判断しました。
(ジルはさっき、この少女をロウズと呼んでいた。たしか彼の婚約者で、アナナスの親友だ。病気を患って動けないという話だったが、なぜここに)
 アズリは少女を観察しました。その視線は常にこちらの懐に向けられています。
(私が見えているということは、普通の人間ではない。魂を奪い返そうとしているのか?)
 必死に混乱した頭の中を整理しようとします。
 少女はメイドを振り払うと、すぐさま肘でみぞおちに一撃を食らわせ、その勢いのまま剣を構え直しアズリへ向かって跳躍してきました。

 驚いてとっさに鎌を盾にすると刃がぶつかる鈍い音が響きます。
 目の前で眼をぎらつかせる少女が、鎌ごと断ち切ろうと、とんでもない力を込めているのが確認でき恐怖しました。
 それから二度、三度と息もつかせぬ速さで打ち込んでくるので、アズリは斬撃を受け止めながらじりじりと後退していきます。一撃が力強く重く、とても細身の少女が繰り出すものには思えませんでした。
 イシアイに助けを求めるものの、先ほどの一撃で気を失ったのか、うずくまったまま動く気配がありません。
 アズリは思いきり鎌を横に振り、少女を大きくはじき返しましたが、あ、と気づいたときには手遅れでした。勢いあまって鎌が手から離れてしまい、光の粒子となって消えていきます。
 少女はその隙を見逃さず一気に距離をつめてきました。
 鋭い刃が、矢のごとく迫ります。
 情けないことにアズリは足が動きません。
 避けられない、そう思った瞬間、横から飛び出してきたものに体当たりされ、突き飛ばされました。
 一緒に横転し、難を逃れたアズリは胸元で息を荒らげる少女を確認します。妹のサーリでした。彼女は兄の様子が気になり駈けつけてきたのでした。
「アズリ、こいつやばいよ、早く逃げよう」とおびえる声でまくし立てます。
 一方ロウズは、焦りながらアズリの手を引く彼女を見て驚きました。
(この子、司祭様の葬儀の時の……!)
 仲間が二人もいたことにヴァッサーゴは想定外だったと目を見開き、すぐさま「逃がすか」と叫び、剣を彼らに向けて横に凪ぎました。今度は扇状に蛇たちが飛ぶように伸びて襲い掛かります。
 それを見たサーリは、手の平から慌てて光の帯を放出し、まだ完全に形づくられていない鎌を一文字に振り、蛇たちをはじき返しました。

 蛇たちはさらさらと雨風に溶け消えていきます。
 サーリは、勢いに押され一瞬よろめきましたが、すぐさま体勢を立て直し、ロウズたちに向かって力いっぱい足を踏み出しました。
「サーリ、いけない。その鎌で人間を傷つけては!」
 実戦経験の少ないサーリは突然の事態に頭に血がのぼり、平静さを失っていました。アズリの制止も聞かず、ロウズたちに近づき、攻撃をあたえようと勢いよく鎌を振りあげます。
 瞬間、ヴァッサーゴは体を深く沈み込ませ、その弾みで空を飛ぶがごとく大きく後ろに跳躍し、猫のようなしなやかさで着地しました。
 彼が元いた場所に鎌がびゅんと空を切ります。
 逃した相手を睨みながら、サーリはふと気づきます。
 少女の手に握られていた、剣が無い。
 足元からぞくりとした気配が這い上がってきたので、目だけそちらに向けると鈍く光る剣が落ちているのが視界にはいりました。刹那、無数の蛇が下から勢いよく迫ってきていることを理解したサーリは、思わず恐怖で瞼を閉じます。
「サーリ!」
 アズリが叫ぶと、その声に意識を取り戻したイシアイが急いでメイドから抜け出し、突如、蛇たちに向け額から閃光を放ちました。あたりが真っ白になり、ロウズたちはまぶしさのあまりギュッと目を瞑ります。
 蛇たちが一瞬ひるんだ隙に、アズリとサーリは追撃から逃れるため急いで翼を広げ飛び立ちました。イシアイも後に続きます。空まで追ってきた数匹の蛇たちがアズリの翼をかすめ、血がにじみだします。

 痛みに構わず、ありったけの力を込めて羽ばたくと、ぐんぐん地上が遠のいていきました。
 心臓が潰れそうです。このような速さで飛んだのは生まれて初めてでした。
 なんとか逃げ切ることに成功した三人は遥か上空で滞空しながら安堵しました。
(傷つけられたジルが心配だが、まずは魂を持ち帰ることが最優先だ)
 そう考え、天界へ急ぎます。
 ヴァッサーゴは痛む目を開け、しまったというように去っていく彼らを確認し、ロウズは一瞬の出来事に、ただ呆然とその様子を眺めていました。

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