■1章|19

 通り雨が過ぎ去った、静寂なひと時。深夜の教会に凛とした声が響きます。
「起きてください、司祭様。件の孤児院から手紙が届いています」
 机に突っ伏していることに気づいたグレンは、慌てて顔をあげ眼鏡をかけなおし、司祭室に来た老シスターに会釈しました。
 視線を落とすと卓上には書きかけの書類が散らばっています。仕事をしながら、いつの間にか眠りに落ちていたのでしょう。
「昨日の夕方からずっと机に向かわれていましたものね。郵便受けの確認もできないはずです」
 気だるそうなグレンとは反対に、規則正しく修道院で午前3時に起床した老シスターは、苦笑しながら手紙を差し出しました。
 彼は差出人の名前を確認すると、眠気をはらうように軽く頭を振り、気を引き締めました。
「この時期の報告ということは、おそらく例の件についてですね。吉報だと良いのですが」
 結果がすぐにでも知りたくて、はやる気持ちを抑えながら手紙を開けます。

 鼓動が高鳴るのを感じつつ、しかし丹念に文章を読み終えたグレンは安堵の表情を浮かべました。手紙にはこう書かれています。
『寄付金のおかげで、取り壊される予定だった孤児院の存続が決定しました。3年間、司祭さまが懸命に募金を呼びかけてくださったおかげです。感謝いたします。また、お礼に伺います』
「良かったですね。日夜、募金の協力を仰ぐために駆け回っていたんですもの。素晴らしいですわ。時間を縫って隣町で働き、給料を孤児院に送金していたと周りから聞いたときは、さすがにびっくりしましたけどね」とシスターが微笑みながら褒めるので、グレンは首を横にふりました。
「いいえ、すべて募金に協力してくださった皆さんのおかげです。とくに信者さんの協力無しでは成しえませんでした」
 彼は孤児院存続のお金を集めるために、寝る間も惜しんで駆け回っていたのでした。
 孤児院は、グレンがこの町に来る前に仕えていた教会の隣にあり、親交も深かったため、取り壊しの報告を受けた時にどうしても見過ごせなかったのです。
 熱心な信者、その中でも裕福層の家に募金のお願いに行くことも少なくなく、ロウズの家も例外ではありませんでした。屋敷にお願いに行くたび「君の頼みなら仕方がない」と多額の寄付金を渡してくれたロウズの祖父には感謝しきれません。
 また、司祭であることを黙認して雇ってくれた仕事場にもお礼に行かなければと思いました。
 貧しい家に生まれたグレンは、司祭でありながら、信仰だけではどうしようもないことを知っていたのでした。
「お金がなければ、救えるものも救えない」そう割り切った思想が彼の根底にあり、時に冷たい印象を与えることもありました。
 不意にアナナスの家に訪問した日のことを思い出します。
 妹そっくりの彼女。祭儀のとき、葬式のとき、常に気になる存在でした。

 いつも元気な彼女が落ち込んでいく姿を見ていると、どうしても放っておけず、火事の後は自宅にまで訪問してしまったのでした。
 そこで『なぜ私にだけここまでしてくれるんですか』と問われて驚き、胸がちくりと痛みました。
 町人にはできるだけ安心感を与えるよう、普段の思想を隠し、柔らかい態度で接することを心がけていましたが、彼女だけは、町人ひとりひとりに心から気を配れていないグレンのことを、見透かしていた様子でした。
 孤児院のことで精一杯だったグレンは、あの時、身近な人々が見えていなかった自分に気づかされ、深く反省したのでした。
 彼女の家を後にしながら「今後は孤児院の子供たちだけじゃなく、この町の人々も支えて守っていきたい」と決意したことを、鮮明に思い出します。
 3年間の緊張がとけ、大きく息をついたその時です。
「助けてください!」と突然教会のドアが開かれ、誰かが助けを求める声がしました。

 グレンたちが驚いて駆けつけると、ロウズの屋敷のメイドが体を震わせながらへたり込んでいました。
「悪魔が、悪魔がお嬢様を」とあさっての方向を指さし、錯乱した様子で話すので、落ち着かせて事情を聞きだします。
 そこで、ロウズが親友のアナナスを剣で切りつけたことを知り、グレンは表情を強張らせました。
「すぐに現場に行きますから案内してください。シスターは警察に連絡を」
 グレンは老シスターに指示したあと、棚から護身用の拳銃と弾丸を取り出しました。
 カンテラを片手に現場に赴こうとしたとき、グレンはふと気づき「もしや」と、急いで教会裏の牢を確かめに行きました。牢には古の悪魔が封印されているというおとぎ話が、この町に伝わっていたからです。
 暗がりの中確認すると、牢の扉は無残に破られていました。本当に悪魔が関わっている可能性があると分かり、背に冷たい汗が流れます。
 護身用の拳銃を改めて眺めました。悪魔祓いのとき、もしもの為にと教会側から司祭へと贈呈されたもの。
 儀式によって清められた銀の弾丸を装填したあと、銃の背を額にあて「お導きを」と小さく祈りました。

 メイドに案内されてバラ園に到着すると、そこは錆に似たにおいが立ち込めていました。
 銃を片手に警戒して辺りを見回すものの、剣を持った少女の姿はどこにも見あたらないので、ひとまず安心しました。
 震えるメイドが指さす方角に顔を向けると、遠くに人らしきものが倒れているのが確認できました。
 暗闇の中、恐る恐る近づいてカンテラをかざします。
 橙色の明かりに浮かび上がるその姿は、まぎれもなくアナナスでした。

 首を切り裂かれ大量の血を流し、仰向けに倒れています。見開いた両目は瞳孔が開き、もう生きてはいないことを証明していました。春とはいえ、まだ肌寒い季節だというのに、どういうわけか蠅が数匹よってきています。
 妹にそっくりの死に顔を見ていると吐き気を催し、グレンは口元を抑えて顔をそむけました。
 恐ろしくてぎゅっと瞼を瞑っても『大学に進学したい』と将来を語る、元気だったころの彼女の姿が浮かんできます。
「この町の人々を守っていきたいと決意したばかりだったのに」
 それも、気づかせてくれたアナナスが犠牲になるなんて。
 彼女を含めた町人たちに、常日頃気を配れていれば、事件は未然に防げたかもしれない、と悔みました。何より、ロウズという少女には、前々から思い当たる節があったので、なおさらです。
 グレンは、教会裏の牢に向かって話しかける彼女の姿をこの3年間、何度か目撃していたのですから。
「彼女が奇妙な力を持ち、怪しげな剣を探し回っている時点で、悪魔との繋がりを真剣に疑っておくべきだった」と唇を噛みます。
 グレンは悪魔など見えない人間でしたから、ずっと半信半疑なところがあったのです。悪魔祓いの経験もなく、前任の老司祭から武勇伝を聞かされたときも「どこか訝しい」などと、不謹慎にも思っていたくらいでした。
 しかし、司祭であるからには信じているふりを貫かねばならず、信者に悪魔の恐ろしさを説くこともしばしばありました。
 なぜ、老司祭のことを信じられなかったのかと、今になって後悔します。
 さらに日々の忙しさに気を取られ、ロウズのことを「きっと空想好きな少女なのだろう」と自己完結し、深く追求しなかった自分に対して激しい怒りが押し寄せてきました。
 思わずうつむいたとき、グレンは足元に何かがあるのに気づきます。
 泥についた、裸足に見える足跡。バラ園の出口に向かって点々と続いているので、ロウズのものであろうと推測できました。
 そしてその横には、血にぬれた女神のメダルが鈍く輝いています。首を切りつけられたとき、ペンダントの紐が外れたのでしょう。
 彼はそれを拾いあげ、内ポケットに大切に仕舞うと、胸に手をあて目を閉じました。
「古の悪魔。アナナスの未来を奪ったこと、絶対に許しません。何としてでも捕らえてみせます」
 そう力強く言い切り、静かに瞼を開けました。その表情は穏やかな仮面を脱ぎ捨てたものでした。

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