■1章|2


「また、あの悪魔のところへ案内してほしい?」
 妖精たちが驚いて言うので、ロウズは「ええ」と穏やかにうなずきました。
 屋敷の庭でくつろいでいた彼女たちはとたんに震えだしました。昨日の今日だから仕方ありません。
「悪魔と約束したもの。私に出来ることなら何でもするって。アナナスは今学校だから私ひとりで行きたいと思うの」
とロウズがお願いするので妖精たちは困ったように顔を見合わせました。
 屋敷のメイドに教会まで連れて行ってもらうことも出来ますが、必ず理由を聞かれるでしょう。信仰心の厚いこの町で、悪魔に会いに行くなどと知られたら大変なことです。ただでさえ不思議な能力のせいで気味悪がられているロウズですから、これ以上荒波を立てたくないと思っていました。
「あなたたちだけが頼りなの。お願い。教会裏の門まででいいから」とロウズがお願いすると、妖精たちは力なくため息をつき「……真面目なんだから。でも、ロウズの頼みなら仕方ないか」と案内を引き受けました。

 門まででいいと言ったのに妖精たちは彼女が心配だったのか、牢の前までついてきました。
 ロウズは「悪魔さん、いる?」と牢に向かって呼びかけます。すると窓からぴょこんと三角の耳が立つのが見え、それからそろっと顔を出しこちらを伺ってきました。ロウズはその仕草がなんだか可愛いと思ってしまいました。
 言い伝えでは恐ろしい悪魔という話でしたが、昨日の様子を見ているとそんなに悪い悪魔には思えなかったのです。それに、司祭におびえている様子を見ると、過去に深く傷つくことがあって、あんなに尖った態度をとってしまったのではないかと思いました。悪さをしたのであっても、何百年も幽閉されているのですから、彼はもう十分に懲らしめられたはず。何か事情があって妖精を奴隷にしようとしていたなら、悪いことでないかぎり協力してあげたいとさえ、ロウズは考えていました。
「なんだ、また来たのか」
 悪魔は窓の格子から鼻先を出し、半眼でロウズを見つめるとそう言いました。
「約束ですもの。あなたの奴隷になって何でも言うことを聞くわ」
「本気で言っているのか。まあ、そんなに奴隷になりたいって言うなら遠慮なく働いてもらう。でも、俺以外の悪魔には絶対それを言うなよ。一生こき使われるぞ」
 悪魔がそう言ったとたん、白い指が突然目の前に伸びてきたのでぎょっとしました。
「心配してくれているのね。ありがとう。やっぱりあなたいい子なのね」と喉を優しくなでられ、悪魔は硬直しました。
 喉を撫でられたことなど、生まれてこのかた初めてだったからです。柔らかい指先にひと撫でされるごとに全身からふにゃふにゃと力が抜けていくようでした。
ロウズは「わあ、気持ちいい。なんてふわふわなの!」と歓喜の声をあげています。

 なんという警戒心のない少女なんだ、と悪魔は呆れました。病気を患っているであろうその姿からあまり外に出たことがなく、世間知らずなのかもしれないと思いました。
 しかし、過去に司祭にひどい目にあった彼はすぐに人間に心を許す気にはなれません。そこでロウズにわざとカマをかけてみます。
「俺は恐ろしくて強い悪魔なんだぞ。お前なんかすぐに食うことだって出来るんだ。見ろよこの牙、怖いだろ」
所詮人間、これで逃げ出すはずだ。と、口をイーっと横に引っ張り鋭い歯を見せつけます。
 その前で、ロウズは何やらごそごそとおなかに抱えていた紙袋から、輪っか状のものを取り出し、差出しました。
「ドーナッツ持ってきたの、食べる?」
「人の話聞けよ」
 いつの間にか彼女のペースにはまっていることに気づいた悪魔は窓枠に顔を押し付け肩を落としました。

 結局、悪魔はドーナッツに触ることができませんでした。何度受け取ろうとしても空を掴むだけです。
「あなた幽霊みたいなのね。せっかく出来立てのドーナッツを食べさせてあげたかったのに。うちのメイドさんが作るお菓子はとってもおいしいのよ」
と、まだほかほか湯気を立てるドーナッツを持ちながら、ロウズは残念そうに言います。きっと冷めないうちに急いでやってきたのだろう、と思うと悪魔は心がくすぐったくなりました。
 とたん、彼女のおなかがきゅう、と鳴ったので、思わず吹き出しそうになります。人間の食べ物に少し興味があった彼は、内心残念に思いながら「俺は食べられないから、それやるよ」と言いました。
「ごめんね。じゃあ、いただきます」と照れながら、もぐもぐと美味しそうにドーナッツを頬張るロウズを眺めつつ(彼女は特別な人間だから自分に触ることができるのかもしれない)とぼんやり思いました。

 相当おなかが空いていたのでしょうか、早々と食べえたロウズから
「ねえ、あなた、お名前はなんていうの?」と聞かれたので、彼は「ヴァッサーゴ」と答えました。
「すてきな名前ね。私はロウズって言うの」
 たしか人間界の言葉で薔薇という意味だったか、とヴァッサーゴは思いました。病気を患っている彼女を見てると、はらはらと散りゆく花びらを思わず連想してしまい、なんとも言えない気持ちになりました。
「ねえ、ヴァッサーゴ、なんで妖精を奴隷にしようとしていたの?」とロウズに聞かれたので「ここから出るためだ」と素直に答えました。
 もう彼女を疑う気がない自分がいました。人間のことはまだ信用できないけれど、彼女のことは信じても悪くないと思えてきたのです。敵意があるなら、とっくに司祭に今回のことを告げ口しているでしょうし、そもそも、体が不自由な彼女が自分に対して危害など加えられるはずなどないのですから。なにより、彼女の裏表ない優しい性格に、すっかり和んでしまっている自分に気づいたのです。
 返答がしっくりいかないのか、首をかしげるロウズに続けて言います。
「正確には、エペタムという俺の愛剣を妖精に探させようと思ったんだ。ここに捕らえられたとき、司祭に没収されて以来、行方知れずでね」
「エペ……タム?それがあるとなんで牢から出られるの?」
「エペタムは特別な力を持った魔剣で、切れないものはないからさ。もちろん結界が張られたこの牢の扉だって例外じゃない。
妖精は人間に化けられる奴らもいるから、そいつらの協力があれば、エペタムを使ってここから出られると思ったんだ」
 エペタムは、大昔、人間界のとある島国で、特別な術をこめて造られた魔剣だと、ヴァッサーゴは教えてくれました。人間だけじゃなく、彼のように実態を持たない悪魔も使用することができるというのです。硬い鉄だけじゃなく、人間、怪物、幽霊、悪魔、結界……エペタムに切れないものはないと知り、ロウズは驚きました。

「そうだったの。昨日話を聞いたときは、もっと悪いことに妖精を遣うのだと思っていたわ。エペタムはどこにあるのかしら。何かヒントはない?」
 ここから出た時に悪いことをするとは考えないのか。とヴァッサーゴは呆れましたが、そこまで疑わないところが彼女らしいと思いました。
「俺は人間の未来を視ることができる力があるんだ。捕まるとき、とっさに司祭を未来視して、誰かの手に渡ったところまでは視えた。けれど、その後のことは分からない」
 その話に、ロウズはまたびっくりしました。
「奇遇ね、私は人間の過去を視る力があるのよ。私は悪魔じゃないけれど、なんだか他人事に思えないわ」
 彼女の言葉にヴァッサーゴも目を見開きました。悪魔や妖精が認知出来る彼女。普通の人間とは違うと思っていたけれど、過去視までできるとは。彼も妙に親近感を覚えました。
「エペタムってどんな形の剣なの?」とロウズが聞いてきたので、ヴァッサーゴは「両手を横に広げてみろ、それぐらいの長さだ。厚さはさっきのドーナツの穴を少し広げたぐらい。色は黒。ロウズがいつも見ている暗闇の色と同じだ」と盲目の彼女に分かりやすいように説明しました。
「分かったわ。とにかくエペタムがあればいいのね。約束だから、見つけてみせる。町の人たちに聞いて回るのが早そうだけど……」
 そう言うロウズの語尾がどんどんしぼんでいくのが気になったヴァッサーゴは「だけど?」と催促しました。
「私、妙な力を持っているでしょう。町の人たちから不気味がられているの。話しかけてもいつも無視されることが多くて」
「アナナスとかいう女の子に協力してもらえばいいんじゃないか」
「それは……駄目よ。この町では神様や天使は好かれて、悪魔は嫌われているでしょう。
もし悪魔を解放しようとしていることがばれたら、アナナスも町の人たちに嫌われてしまう。私が言い出したことだから、彼女を巻き込みたくないの」
「なるほどね。悪魔は嫌われ者か。俺はこの町で悪さをした覚えはないんだけどな」
 疲れたようにそう言うヴァッサーゴにロウズはびっくりして尋ねました。
「もしかして、悪魔というだけで捕らえられたの?あのおとぎ話はひょっとして作り話だったりするの……?」
「どんな作り話かは知らないが察しがつくな。こんな信仰心の厚い町を無警戒にうろついていた自分が馬鹿だったんだ」
 それから彼は一瞬遠くを見つめ、瞳をふせました。
「……俺はもとは魔界に住んでいたんだが、掟を破って人間界にやって来たんだ。嫌な奴らから……俺を縛る一族から逃げ出すために。でも逃げた先でも結局これだ。俺は不自由な運命から逃れられないのかもしれないな」
 何か深い事情があって人間界へやってきたのでしょう。彼の返答にロウズは胸が締め付けられました。おとぎ話では大変な悪さをしたことになっている悪魔。しかし実際は、普通の人間と変わらない心を持ったひとなのだと思うと、今すぐにでも解放してあげたい気持ちになりました。
 ロウズは「待っててね、ぜったいエペタムを見つけてくるから」と言うと、車いすを通りに向けて漕ぎ出しました。
 その後ろ姿を見送りながら、ヴァッサーゴは体の弱い彼女を奴隷にしていることに、少し心が痛みました。

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