■1章|21


 凍てついた眼差しをこちらに向ける司祭グレンでした。
「その声は……司祭様?いつの間に」
 ロウズが驚くと、ヴァッサーゴは他に彼の仲間がいないか確認するため、急いで耳を遠くまですませます。
(良かった、司祭ひとりだけだ。それと、少し先に馬の気配)
 馬からおりて気配を消し、ここまでやってきたのだと察しました。視線を下ろし地面を確認すると、裸足の足跡。走りやすいように草の生えていない獣道を通ってきたことを後悔しました。
「話はすべて、逃げ出してきたメイドから聞きました。悪魔よ、お前が妙な術で彼女たちの意識を奪い、バラ園に連れていったと。そこでアナナスを……これ以上、被害者を増やすわけにはいきません。早くその少女から離れなさい」
「ちがうわ、ヴァッサーゴはそんなことはしていない。あれは天使達がしたことなのよ」
 ロウズは心の中で叫びますが、当然司祭にその声は届きません。ヴァッサーゴが代弁します。
「司祭、聞けよ。俺、いや俺たちはアナナスを殺していない。むしろ助けようとしてあそこにいたんだ」
「じゃあ、なぜこんなところまで逃げてきたのです」
「それは……」
 ヴァッサーゴは言葉を濁しました。鷹のことを説明したところで、この敵意むき出しの司祭が信じてくれるのか。迷っているうちにグレンが勝手に結論付けます。
「やはり。悪魔の言うことなど信用なりません。後に警察が来る予定ですが、ここで僕が片を付けます。いや、つけなければなりません」
「待ってくれ。俺たちが殺していないのは事実だ!あれは天使がやったことなんだ」
「天使を悪に仕立てるとはどこまで愚かなのでしょう。憑りつかれた彼女の苦しみが分かっているのですか。これ以上、その体で好き勝手はさせません」
「違うんだ、俺が憑りついていないとロウズの病気が」
「……早く離れないと」
 言い終わらないうちにグレンが銃の引き金に指をかけ、足に狙いをさだめようとしたので、ヴァッサーゴは急いで鞘からエペタムを引き抜こうとしました。

「だめよ、ヴァッサーゴ。司祭様まで巻き込んでは」
 ロウズの制止にヴァッサーゴは、歯をくいしばり、冷静に考えました。
 この体で司祭を傷つけると、彼女に罪をかぶせることになってしまう。すでにジルを切りつけているのです。これ以上ロウズの手を汚したくないと考え、渋々とエペタムを鞘の中に収めなおしました。
「良い判断です。さあ、今度は剣を捨てなさい」
 舌打ちし、グレンの足元にエペタムを放ると、彼はこちらに銃口を突きつけたまま拾い上げようとしたので、ロウズは焦りました。
「司祭様、だめ。エペタムに触ると……」
 グレンの視線がほんの一瞬エペタムに向いたと同時に、ヴァッサーゴが高く跳躍します。ロウズはいきなり目の前が無数の縦線になり驚きました。
 そのまま、彼の頭上から急降下して背後に回り込むと、素早く身を反転させ、後頭部に向けて勢いよく肘を打ち込みました。
 グレンがどさりと倒れ込みます。
「ヴァ、ヴァッサーゴ……」
「大丈夫、かなり手加減したからしばらくしたら起きるさ。大やけどよりましだろう」
 そう言って微笑むと、ロウズの安堵感が伝わってきました。
「良かった。ありがとう」
「まだここは危険だ。もう少し離れよう」
 ヴァッサーゴがエペタムを拾おうと一歩踏み出したそのときです。
 ロウズが背後に視線を感じ、慌てて「後ろ!」と叫んだ時にはもう手遅れでした。意識を失ったふりをしていたグレンに足首をつかまれ、前のめりに倒れこんでしまいました。
 グレンは素早く起き上がり、ロウズたちに覆いかぶさると、胸元をつかんで強引に振り向かせます。
 そして、もう片方の手に持ったビンの中の液体を、彼らの顔目がけて勢いよく降りかけました。
 ヴァッサーゴが苦痛のあまり、顔を抑えながら大きな叫び声をあげます。まるでぐつぐつと煮えたぎる溶岩が、顔面に隙間なく張り付いてしまったようでした。

「聖油を持ってきてよかった。やはり悪魔には耐えがたいようですね」
 体を弓なりに反らせもだえ苦しむヴァッサーゴを一瞥し、老司祭の武勇伝に感謝します。とグレンは独り言ちます。
 ヴァッサーゴはあまりの苦痛に耐えきれず、ロウズから憑依を解いてしまいました。悪魔の姿に戻った彼は、そのまま無様に地べたに転がります。
「しまった……!」
 一方、ロウズはふたたび病気の苦痛に襲われ始め、顔をゆがめました。
 とたんに大人しくなった彼女を、グレンは手早く抱き上げます。
「ロウズさん、辛いでしょうが今は我慢してください。町へ戻ったら、すぐに悪魔祓いの準備にとりかかります」

 病気で苦しそうに息をする彼女を哀れみながら、馬のほうへと走っていきます。
(この司祭、俺が見えていないんだ。まだ憑りついてると思っている。このままじゃロウズだけが連れていかれてしまう)
 彼女の苦しみと寿命のことを考えると、一刻も早く憑依しなおさなければならないのに、聖油の影響が続いているのか体中がしびれて動きません。
 軋む体を無理やり動かそうともがいているうちにも、グレンたちはどんどんヴァッサーゴから遠ざかっていきます。
 慌てて視線だけ泳がせると、エペタムが視界にはいりました。
「しめた」
 放り投げたときの衝撃で、エペタムの鞘がすこしだけ空いていました。
 ヴァッサーゴがすぐさま命令を下すと、鞘と鍔の隙間から蛇が一匹だけするりと抜け出しました。蛇はグレンの足元目がけて静かに這っていくと、片足に素早く巻きつき、そして稲妻のような電流を放ちました。
 彼は、雷に打たれたように硬直すると、悲鳴を上げる間もなくロウズもろともどさりと倒れ込みます。
 今度こそ気を失ったのか起き上がる気配はなく、ロウズの荒い呼吸音だけがヴァッサーゴの耳に届いてきました。
 彼女を見ると、声を絞り出すように口を動かし、足を突っ張らせ、手をさ迷わせながらヴァッサーゴのいる場所にたどり着こうとしています。しかし病気の痛みが激しいのか、少し移動しただけですぐに力つきてしまいました。胸が激しく上下しています。
「ロウズ、いま行くから待ってろ」
 ヴァッサーゴは上手く動かない体を必死に奮い立たせ、這いずりながら彼女に近づいていきます。

 じりじりと彼女のもとへ辿りついた彼は再度憑依を試みました。
 瞬間、以前とは比べ物にならないほどの苦痛が全身を駆け巡ります。
 すべての内臓がひねり潰されるような、真っ赤に熱した無数の針が顔面に突き刺さるような。病気の痛みと、顔にかかった聖油の熱さが同時に襲い掛かり、頭がどうにかなってしまいそうでした。
 朦朧としてくる意識をなんとか保ち、憑依に成功すると、急いでロウズの肩掛けを顔に引き寄せ、聖油を強引にぬぐいました。苦痛に歯を食いしばりながら隅々までぬぐっていくと、若干痺れは残るものの、徐々に体が楽になっていきました。

 まだ顔に火傷のような火照りとひりひりとした痛みは残りますが、もう問題なく体が動かせそうです。
 ヴァッサーゴがほっと息をつきエペタムのところまで歩いていって拾いあげると、ロウズの謝る声が聞こえてきました。
「ごめんなさい。私があんなことを言ったから……私、甘かった」
 まだ落ち着かないのか、どきんどきんと脈打つ心臓の音がやけに大きくひびきます。
『司祭を巻き込んではいけない』あの一言がこんなに大変な事態につながるとは思いませんでした。
(私にもう少し厳しさがあれば、ヴァッサーゴはこんな目に合わなかった)
 そう肩を落とすロウズに彼は言いました。
「いや、甘かったのは俺のほうなんだ。しっかしあんなに石頭だったとはな。今度こいつに会ったら手加減なしだ」
 彼はグレンが呼吸していることを確かめると、舌を出し、そのまま南へ向かって走り出したので、ロウズは目を点にさせ、それからちょっと呆けてしまいました。
 あんなに大変な目にあったといのに、彼はひどく丈夫な精神の持ち主のようで、もう前向きに次の行動を考えだしています。彼の強かさを少しでも分けてもらえたら、とぼんやり思いましたが、自分にはまだそんな器はないとすぐに考え直しました。
 町から一歩遠退くたび、これからどうなるのだろう、とロウズの不安は大きくなります。考えなければならないことが多すぎました。
 そういえば、仲良しの妖精たちともいつの間にか離れ離れになり、お別れさえ言えなかった。祖父や、お世話になったメイドさんや、生まれ育った町にも。疎外感を味わった町でしたが、少なからず情というものは湧いていたのだと今になって気づきます。
 しかし、もう後戻りはできないのだと、残酷な現実を受け入れるしかありませんでした。

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