■1章|22

 アナナスの死後から2日が経ちました。

 天界の上空に浮かぶ神殿。その一室で、サティはまどろみ、昔の夢を見ていました。
 彼女は一度、単身魔界へ赴いたことがありました。
 魔界の東に広がる森。そこに、どんな病をも治す実がなる樹が生えているという噂を耳にしたからです。天界に存在するあらゆる方法を試しても治らない母の病。サティはその話にすがるしかありませんでした。
 まわりに知られると騒ぎになるので、天使たちの監視をかいくぐり、魔界に通じると言われている秘密の通路の封印を解いて、森へと赴きました。
 しかし、魔界の森に到着したサティは数分も経たないうちに、東方を治める王家の第一王子アガレスと、彼が率いる魔物の軍団に見つかってしまいます。そして、妙な術を使われ捕らわれてしまったのです。
 神である自分の体は彼らの倍以上はあるので大丈夫、と、高をくくっていた結果でした。

 城に連行されたサティは、そこで王と対面し、配下の魔物に囲まれます。
 王やアガレスは女神であるサティの侵入を許しませんでした。神々の中で地位が低い彼女を、利用する価値も無いとみた彼らは、魔物に命令を下してすぐさま殺そうとしました。
 サティは涙ながらに事情を説明しますが、誰も聞く耳を持ちません。
 しかし、ひとりだけ止めに入り、彼女の話に耳を傾けてくれる者がいました。第二王子のヴァッサーゴです。
 母の治療のためにここまでやって来たことを必死で話すと、敵意がないことを理解したヴァッサーゴは、彼女を哀れに思ったのでした。そしてサティをかばい、魔剣エペタムを操って彼女を殺そうとする魔物たちに立ちはだかったのです。

 その後は、王やアガレスの反対を押し切り、彼女を天界へ帰すために尽力してくれたのでした。
 天界に通じる通路に戻るまでは、アガレスの使い魔に幾度となく行く手を阻まれ、苦難の道のりでした。
 諦めて死を覚悟しそうになるサティに、ヴァッサーゴは力強い言葉で励まし続けました。
 「自分を信じろ」と言う彼。
 『自分』がサティ自身のことなのか、それとも彼自身のことを指すのか、はっきりと分からないままでしたが、彼女に確かな勇気を与え、その言葉を胸に前へ進んでいきました。

 数日後、ヴァッサーゴの協力のもと天界へ戻ったサティは、自分のために戦ってくれた彼のことが、ずっと忘れられずにいました。
 また会ってお礼をしたいと願いましたが、サティが魔界へ赴いたことはすぐに周囲にばれ、秘密の通路はあっという間に取り壊されてしまいました。
 その一年後のことです。彼が行方知れずになったと風の噂で知ったのは。
『王家に歯向かうヴァッサーゴを疎ましく思った王やアガレスが、彼を葬ったに違いない』という噂話が、天使たちの間でまことしやかに囁かれていました。
 しかしサティは、今もどこかで必ず生きていると信じています。
 落ち込んだ時、悲しい時、いつも彼の黄金色の瞳とあの言葉が頭をよぎり、勇気づけられる日々なのでした。


「サティさま、サティさま、そろそろ会議がはじまります」
 まどろむサティの耳元で、小さな男の子のささやく声が聞こえてきました。昔から仲良くしている精霊チップのものです。
「あ……チップ、起こしてくれて、ありがとう。ついうとうとしていました」
 サティが目をこすると、ぼんやりしていた視界が徐々に揺らぎ、会議室のそれに変わっていきます。
「案外抜けてるところがありますね。今日はオレが会議室にまでついてきて良かったです」
 えへん、とチップは満足気に言います。
 チップは、サティがよく遊びにいく森に生息している精霊で、一番仲のいい親友です。まだ子供でやんちゃなところがありますが、頭が良く賢い精霊でした。
 彼は最近、アナナスの件で沈みがちな彼女のことが気にかかり、神殿内にまでついてまわるようになりました。神殿は決められた者以外の立ち入りが禁止されているので、誰かに見つかりそうになると、彼女の長い髪の内側にすばやく隠れてやり過ごしていました。
 チップは「さっき、ヴァッサーゴ様……とかつぶやいてましたけど、誰なんです、そいつ?」と怪訝そうに聞いてきました。
 寝言を聞かれたのだと、サティは顔が真っ赤になりました。彼の姿を思い出し、熱る頬に両手を当てます。

「あ、もしかして。サティさまの想い人ムガガ」
 突如、彼女に小指で唇をふさがれたチップは、改めてサティを見上げます。上気した顔に潤んだ瞳。これは……
「熱があるわけじゃないんですよね。チェッ、どこの誰なんだか」
 オレだってサティさまと昔から仲良しなのに、とぶつくさ言っています。
 会議室に続々と他の神々が集まり始めたので、サティは我に返り、急いで背筋を伸ばしました。
 しばらくして、会議が始まりました。今回の議題は『アナナスの魂の処置をどうするか』でした。
 アナナスは予定どおりアズリに殺され、イシアイによって魂だけがこの神殿に連れて来られたのでした。
 会議の結果は話あわずとも決まっています。危険分子は根底ごと絶つ。つまり、魂ごと消滅させる。今までこのような事態が起こった場合は、すべてその結論でした。サティが何度反対しようと、結末は変えられませんでした。
(きっと今回も……)
 いつものように『可哀想だが、これが運命だ』と、冷酷に言い放つ他の神々の姿が目に浮かびます。
 サティの頬から急速に熱が引き、今度は冷たく青ざめていきます。
 突然、会議室にアンテウォルテの張りのある声が響きました。
「会議の前に少しお時間を。イシアイから重要な報告があります」
 広い円卓の上にイシアイが飛んできて、額から光を放ちました。その光がどんどん形作られ、円卓の上に立体映像が浮かびあがります。
 ハルパーを持つサーリと対峙する、眩しそうに目を瞑る金髪の少女の姿。サーリの足元には細身の剣が落ちていて、刃からは妖しく輝く蛇と思われるものが、今にも彼女に襲い掛かろうとせんばかりに伸びています。
 見たものを光の構成によって映像として再現する能力を持つイシアイ。彼があのとき閃光を放ったと同時に取り込んだ、記憶の映像でした。

(ヴァッサーゴ様の魔剣……!?)
 映像を見たサティは驚きました。魔界でヴァッサーゴと共に何度も危機を救ってくれたエペタムが映っていたからです。
「金髪の少女がこの奇妙な剣を操り、天使アズリの暗殺の邪魔をしてきたとのことです」
 アンテウォルテの話に会議室がざわめきます。
「本当なのかイシアイ」「これは蛇か?なんと禍々しい」「この少女、何者だ」
 神々が口々に驚きの声をあげると、イシアイは淡々とした口調で報告しました。
「アズリの報告によると、この少女はアナナスの魂をアズリから必死に奪い返そうとしていたようです。名はロウズ。アナナスの親友とのこと。細身の少女とは思えぬ力の持ち主で、アズリは苦戦を強いられたようです。サーリも駆けつけ、ハルパーでこの剣を消滅しようと試みたものの、返り討ちにあったとのことです」
 彼の報告に「こんな人間は初めてみた」「恐ろしいこと」「魂を奪って何か良からぬことを企んでいたんじゃないのか」とざわめきはさらに大きくなりました。
 ひとりの神がぼそりとつぶやきます。
「この力。もしかして悪魔が憑りついて……人間界には魔界から抜け出してきた悪魔や、魔術によって呼び出された悪魔が、少数ながら存在すると聞きますわ」
 自分たちの天敵が関わっている可能性があると考え、神々は震えました。
「その可能性は否定できません。万が一のためにこの少女をマークしておいたほうが良いと思います。こちらでも調査を進めておきます。とくにこの剣、どうも気にかかりますので」
 イシアイは報告が終わった後、立体映像を消して円卓から去りました。
 サティは、このロウズという少女にヴァッサーゴが憑りついているに違いない、と確信しました。魔剣エペタムを操れるのは彼のみだと知っていたからです。
(やはりヴァッサーゴ様は生きていた。まさか人間界にいらっしゃったなんて)と胸が高鳴ります。
 サティは、幸いにもエペタムを知る者がこの場にいないことに安堵しました。
 彼女は事の真相が知りたくなりました。なぜ彼がこの少女に憑りつき、アナナスの魂を取り戻そうとしていたのか。きっと何か深い事情があるに違いありません。
(彼が必死で守ろうとした魂……)
『自分を信じろ』いつもの彼の言葉が頭の中に響きます。

 それから会議は進み、1時間もしないうちに結論がでました。
 神々は、アナナスの魂を明日、消滅させることに決定したのでした。
 ただひとりを除いて。

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