■1章|25

 あれから3日間、ロウズとヴァッサーゴは薄暗い森の中を歩き続けていました。
 かなりの距離を進んだように思いましたが、深い森のようで、まだ途切れることはありません。ここがどこなのか、どれくらいの距離を歩いてきたのか、生い茂った森の中ではまったくわかりませんでした。
 もう追手は来ない様子だったので、夜が来ると、寒さで震えるロウズのために、エペタムを使って枝を切り、薪に稲妻で火をつけました。彼女は初め、燃え盛る火におっかなびっくりでしたが、傍であたっていると肌をなでるあたたかさが心地よく、ずっと眺めていると気持ちが落ち着いてきました。

 不老不死なので飲まず食わずでも死ぬことはありませんが、体の中からあたためたほうが良いと思い、野うさぎを狩ってたき火で焼き、食事をしました。ヴァッサーゴは野営に慣れているのか手慣れた様子ですが、盲目でお屋敷暮らしだったロウズにとってはすべてのことが新鮮でした。
 はじめは目の前でさばいた食べ物に抵抗があった彼女でしたが、ヴァッサーゴが一口かじって咀嚼してやると意外とおいしいということが分かったのか、もっと食べたいというように「ぐう」とおなかが鳴りました。
 ヴァッサーゴが楽しそうに笑うと、ロウズもつられて笑いました。

「ほら、これで体が痛くないだろ。昨夜はうっかり地面で寝て、起きた時にひどい目にあったからな」
「……いつもごめんね、ヴァッサーゴ」
 ヴァッサーゴが枯草を集めて寝床を作っていると、突然、ロウズが謝りました。
「俺は結構楽しいんだぜ。人の体で人間界を冒険するなんて、滅多にできる体験じゃないからな」
 大の字になって枯草のベッドに倒れ込みながら明るく語る彼ですが、それでもロウズは申し訳なさそうです。

「えっと、そういうことじゃなくて……何もできない自分が情けないの。なのにあの時、余計なことを言って、ヴァッサーゴを大変な目に合わせてしまったでしょう。守ってもらっておいて、勝手なことだと気づいたの」
 ロウズはグレンと対峙し、危機的状況に陥ったときのことをずっと気に病んでいたのでした。思い出し、苦い気持ちがこみ上げてきます。
 ひとりじゃ何もできず、親友の足かせになっているだけ。そんな自分が情けなくて嫌なのに、内心は死ぬことが怖くて彼の力を頼っている。そう心の隅で自覚しているからこそ、今の元気になった体を素直に喜べませんでした。ロウズは守られてばかりの自分にうんざりしていたのです。
「あのとき、私の手を汚さないために、司祭様を傷つけないよう気遣ってくれていたのでしょう?もう私のことは気にしなくても大丈夫よ。また教会関係者が追ってくるかもしれないもの。これからは何かあったら、斬ってしまってかまわないから」
 せめて迷惑にならないようにしたい、と強がるロウズをすべて見透かしたように彼は目を細めました。
「ロウズ」「なに?」
 とつぜん視界に自分の手が映ったかと思うと、額に軽い痛みを感じました。指で額をはじかれたのだと気づきます。
「いた」「俺も痛いよ。あのな、そんなことは気にしなくていい。今はロウズの体を借りてるんだから、ロウズの考え方や立場を尊重するのが筋ってもんだろう」
「で、でも。それじゃあ、ヴァッサーゴの意志はどうなるの?迷惑だったりとかじゃ……」
「迷惑でなんかあるもんか。そもそも俺の意志で勝手にロウズの体に憑りついてるんだ。だって君は『守ってください』なんて一言もお願いしてないだろ。
俺が好きでロウズを守ってるだけだ。だから、何もできないなんて心配しなくていい」
 ロウズは涙があふれそうになりました。
 心の底で死を恐れている自分の気持ちを知りながらも、精一杯気遣ってくれる親友の言葉に、胸があたたかくなりました。
「なにより俺は、友と一緒に同じ時間を過ごせることが嬉しいんだ。今までは牢越しに少しの時間話すぐらいしか出来なかったし、最近は会うことさえできなかったろ。こうやって毎日外の世界で、一緒に何かを見たり食べたり感じたり出来るなんてそれだけで幸せなことさ」
 楽しそうに話す彼にロウズはすこし驚いて突っ込みました。
「ヴァッサーゴ……もしかして、最近ひとりぼっちで寂しかったの?」
 図星をつかれたヴァッサーゴは思わず飛び起きて湯気がでそうなほど顔を赤くしました。
 なるほど、それでこんなにはしゃいでるのね。とロウズは腑に落ちたように頷きます。
(たしかに私もアナナスと会えなかった日はいつも寂しかったわ。次に会えた日は妙にはしゃいだっけ。ヴァッサーゴも私に対してそう思ってくれていたなんて)
 果てしなく強いと思っていたヴァッサーゴにこんなに可愛い面があったのだと思うと、今まで以上に親近感がわいてくるようでした。
「ま、まあ、さすがの俺もあの期間はこたえた。正直、ロウズが訪ねてこなくなったときは本当に心配したんだからな。とにかくだ。俺は気にしてないから、変な気遣いしなくていいんだ。」
「うん……ありがとう、ヴァッサーゴ。」
 照れながら話す彼に、ロウズは表情をほころばせながら返事をしました。
(なんでかしら。ヴァッサーゴと話していると、いつも重い心が羽のように軽くなっていくわ。アナナスといるときの包み込んでくれるような安心感とはまた違うけれど、うつむいて立ち止まっている自分を前に進ませてくれるような、そんな力が彼にはある気がする)
 それからロウズは願いました。
(……私もいつか、彼の力になれるときが来ればいいのに)
 そのためにも一刻も早く治療法を見つけ出して元気な体に戻らなければと心に誓います。

 談笑で夜がふけていきます。
 なるべく、町でのことを思い出さないようにふたりは努めました。
 しかし、夢の中で繰り返されるあの夜の出来事が、ロウズとヴァッサーゴに消えない傷跡をたしかに残していたのでした。

 次の日の早朝。
 霧のかかる青白い森の中をしばらく進むと、前方の木々の隙間からうっすらと光が差し込んでくるのが見えてきました。
「森の出口だ」
 ふたりは吸い込まれるように、自然と駆け出していました。
 生い茂る木々の間を抜け、開けた場所にでると、やわらかくあたたかい光が二人の顔を照らしました。眩しさに手の平を額にかざし遠くを見つめると、ここは高い丘の上のようでした。
 視線を下に移すとなだらかに続く平原と、そのさらに向こうに連なる山々が見えます。山の向こうからは、朝日がゆっくり昇り始めており、空を群青から薄紫、そして黄金色へと染めていきます。
 ロウズは生まれて初めて見る光景に、ただ見惚れました。

「すごい……」
「ああ、すごいな。人間界の風景は本当にきれいだ。また朝日を見ることができるなんて。ロウズ、俺を解放してくれて感謝してる」
 ヴァッサーゴは嬉しそうに目を細め、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込みます。
「それは私もよ。ヴァッサーゴがいなかったら、こんな景色は一生見ることができなかったんだもの」
 彼女の弾んだ声を聞いたヴァッサーゴは、前を見据えて思いました。
(これからは沢山見て、感じて、生きていくんだ。今まで出来なかった分まで)
 大きく響いてくる彼の決意の言葉をロウズは聞きました。きっと彼自身だけじゃなく自分のことも指しているのだと思うと、胸に染みました。同時に、もうそれが出来ない亡き親友を思い出し、また涙をあふれさせそうになりましたが、今度はぐっとこらえます。
 空にきらりと白い星が流れました。
 ヴァッサーゴは不思議に思い、目を細めます。ただの流れ星かと思いきや、どうやらこちらに近づいてくるようなのです。
 白く光る小さな球体がどんどん近づいてきて、ふたりの目の前でピタリと止まりました。じっくり見ると光の中に、羽の生えた純白の獣がふわふわと浮遊しています。
 こちらを見つめるつぶらな瞳と目があった瞬間、ボンッと真っ白な煙を吹きあげました。そこから、小さな人間の男の子が突然現れ、べしゃっと頭から格好悪く着地しました。
「イッテエ!人間の体ってこんなに重いのか。オレとしたことがとんだ失態だぜ」

 頭をさすりながら喚く少年を確認したヴァッサーゴは、流れるように剣から鞘を抜き、すぐさま構えました。アガレスの手の者ではないかと思ったのです。
「うわ、ちょっと待ってくれよ。オレはサティさまの命令であんたに会いに来たんだ。あんた、ロウズに憑りついてる悪魔のヴァッサーゴだろ。この付近を探し回ってやっと見つけたよ」
「サティの……!?お前、天界の者か」
「そう、天界に住んでる精霊のチップっていうんだ。ちょっくら込み入った事情があってやってきた。あ、この姿、怪しまれないように人間に化けてみたけど、初めてにしちゃ上出来だろ」
 胸をそらしながらフフンと鼻をならすチップを見たロウズが言いました。
「この子、敵意はなさそうよ。サティ……教会で聞いたことがあるわ。神話にでてくる輪廻転生を司る女神の名前と同じ。ヴァッサーゴ、女神さまのことを知っているの?」
「昔、天界の者をかばった話したことがあるだろう。そのときの彼女だ」
 彼が仮面をつけることになった原因だと、以前話してくれたことを思い出しました。
 チップがふたりに言いました。
「そのとおり。サティさまからこれをあんたにって」
 彼から宝石を受け取ったヴァッサーゴは「これは?」と首をかしげました。
「たしか、私を支えてくれたあの言葉を宝石に向かって念じてください、とおっしゃってた。合言葉みたいなものだと思う。きっとこの宝石には何か仕掛けがあるはずだよ」
 チップの返事にヴァッサーゴは、魔界で何度もくじけそうになっていたサティの姿を思い出しました。あの時、彼は励ましの言葉を送り続け、彼女はそのとおりに行動し、天界へ帰ることができた。しかし、あの言葉は自分自身に言い聞かせていた部分もあったのです。
 サティを救うために、王族――親に兄に歯向かったヴァッサーゴ。
 以前から過激な彼らに対して反感を抱いていたものの、公に行動で示したのは、あの時が生まれて初めてだったのです。ですから、自分が正しいことをしているのか、間違ったことをしているのか、彼女を送り届ける道中もずっと心が揺らいでいました。その心を固めるために、何度もあんなことを言ったのだと今なら思えました。
『自分を信じる』とても難しいことでしたが、ヴァッサーゴ自身もこの言葉に救われていたことは確かでした。
 彼が祈るように言葉を念じると、突如宝石が、まばゆく輝きだしました。光は変化し、人の形になっていきます。
 すうっと光が治まると、目の前には銀髪の幼い少女が立っていました。

「サティ」
 懐かしい顔にヴァッサーゴが歩み寄ると、うっすらと透けていることに気づきました。それに大きさもずいぶん違います。いま目の前にいる彼女は、自分の頭ふたつ小さく、まるで普通の人間のようです。
 チップが目の前のサティに触り、透き通るのを確認しながら言います。
「これ立体映像だよ。この宝石には詳しくないけど、たぶん天使イシアイの能力を応用して作ったものだと思う。風景を記録して再生できるんだ」
「よくわからないけれど、天界にはすごいものがあるのね……それにしても綺麗な女の子」
 ロウズは不思議な光景と美しい少女に見惚れてしまいました。妖精も美しいけれど、また違った神々しさがあるわ、とため息をつきます。
「ヴァッサーゴさま、お久しぶりです。そしてロウズ、はじめまして」
 突然、目の前の少女がしゃべり出したので、ロウズは反射的に「は、はじめまして」と挨拶してしまいました。
 そういえばこれは記録だった、と恥じる彼女に構わず、そのままサティは語り続けます。
「この映像は記録です。私が一方的に話す形になるのをお許しください。私は輪廻転生を司る女神のサティ。ふたりとも、まずはアナナスの魂を天使アズリから取り戻そうとしてくださったこと、心からお礼申し上げます」
「アナナス!?」
 ロウズとヴァッサーゴが驚きの声を上げます。
「アズリが持ち帰った彼女の魂は、現時点では天界の神殿内に保管されています。先ほど彼女と会ってお話をしてきました。ロウズ、病気のあなたのことをとても心配している様子でした。いい親友を持ちましたね」
「アナナス……アナナスの魂は無事なのね!ああ、今すぐにでも会いに行きたい」
 肉体は殺されてしまったけれど、魂は、彼女自身は確かに存在している。
 そう知ったロウズは嬉し涙を流し、ヴァッサーゴも微笑みながら指で潤む瞳をぬぐいました。
 しかし、サティの方は険しい表情になりこう述べたのです。
「落ち着いて聞いてください。これからすべてのことを話します。なぜ、アナナスが天使に狙われ、殺されてしまったか。そして、これから私が成そうとしていること、すべてを」

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