■1章|6

 時はながれ、3年が経ちました。
 教会裏の外壁の蔦はさらに伸び、垣根は以前より背が高くなっています。埃と蜘蛛の巣だらけの牢の奥で、誰からも忘れられた悪魔が静かに眠っていました。
 ただひとりを除いては。
「ヴァッサーゴ、おはよう」
 凛とした声が外から響いてきたので、彼はのそのそと起き上がり窓の外を覗くと、ひとりの少女がいました。
 美しく成長したロウズでした。
 長い金髪や閉じた目、車いすに座った姿はそのまま。しかし背はすらりとのび、顔は大人っぽくなり、雰囲気も3年前よりずっと落ち着いています。
「あ、ああ、おはよう」

 ヴァッサーゴは先ほどまで3年前、ロウズと出会って間なしの頃の夢を見ていたので、一瞬、時を飛び越えた感覚になりました。顔を振り、急いで意識を現実に引き戻すと、咳払いして言いました。
「今日はまた随分と早いな」
「ふふ、実は見せたいものがあって」
 ロウズは唇に手をあて微笑んだ後、突然、後ろ手に隠していたストローを口に加え、ふうっと息を吹き込みました。丸い透明な玉がいくつもストローの先から生まれ、ふわふわと上に向かって飛んでいきます。かと思えば今度は寒さで凍りだし、下へ沈んで地面に触れると、ぱりんと弾けて消えてしまいました。
 ヴァッサーゴはびっくりして毛を逆立てたまま硬直しています。
「やっぱり初めて見るのね?しゃぼん玉って言うのよ。寒いときは綺麗に凍るってアナナスから教えてもらったの」
 固まったままの彼に、ロウズは大丈夫?と喉を撫でています。
 彼女はいつも自分を驚かせて楽しんでいる節がある、とヴァッサーゴはうなだれました。一週間前は小さな箱を目の前で開けられ、中からばねが飛び出すおもちゃで驚かされました。しかし、すべて退屈している自分のためを想ってやってくれているのだと思うと、憎めません。実際、次はどんな手で来るのか、楽しみにしている自分がいるのですから。
「ヴァッサーゴ……」
 先ほどまで楽しそうにしていた彼女が、突然曇った顔でつぶやくので、ヴァッサーゴは「どうしたんだ?」と尋ねました。
「あ、ううん。ごめんなさい、なんでもないの」と彼女は首を振りました。
 ここ最近、ロウズの表情が時折陰ることに、ヴァッサーゴも気づいていました。
「何か気になることがあるなら、いつでも相談に乗るぞ」
 俺は未来が視えるからな、と明るく気遣うものの「本当に、大丈夫だから」と彼女は微笑み返し、そしてケホケホ、と小さく咳をしました。
 ヴァッサーゴは、彼女がストレスを感じた時に咳が出ることを長い付き合いで知っています。明らかに無理をしている彼女を見ていると、心配になってきました。
(まさか、病気のことで医者から何か言われたのだろうか)
 寿命のことが頭によぎり、背中に冷や汗が流れ出しました。
 ヴァッサーゴは、彼女の未来がどうしても気になり、恐ろしいことだと分かりながらも、ついに未来視してしまいました。目の前のロウズに意識を集中させます。
 屋敷で食事をとる彼女、教会で話を聞く彼女、メイドと話す彼女……
 ちがう、見たいのはそれじゃない。ヴァッサーゴは焦るように映像を早送りしていきました。
 一瞬、幸せそうな笑みを浮かべた彼女が映ったので、気になり映像を止め、少し戻して、そこからふたたび再生します。
 アナナスが薬と思われる液体のはいった小瓶を持って、ロウズに嬉しそうに話しかけているので、気になって耳を澄ませてみました。
「ロウズ、やったよ!ついに薬が完成した!治験でも問題なかったって……!即効性があるこの薬を使えば、遅くても2年後には病気が完治するはずだよ」
「アナナス……本当なの。信じられないわ。本当の本当に?」
「私が今まで嘘をついたことある?本当の本当!これで元気になったロウズと一緒に遊べる!」
 ロウズは涙をあふれさせ、彼女に手を伸ばしました。
「ああ……信じていいのね。アナナス、ありがとう。私なんかのために、こんなに頑張ってくれて」
「何言ってるの。あたしたち、親友じゃない」
 嬉し涙を浮かべ、抱き合う二人を見て、ヴァッサーゴは驚きに目を丸くすると、さらに早送りをしました。
 瞬間、目に飛び込んでくる鮮やかな青空と太陽に目を細めました。そこには微笑みを浮かべ、元気に走りまわるロウズとアナナスの姿がありました。二人は手をつなぎ、どこまでも広がる草原の向こうに走っていきます。

 その光景を見て、ヴァッサーゴは高鳴る鼓動を抑えきれませんでした。目の前のロウズに早く真実を伝えたくて、一気に意識を現実に引き戻します。
「ロウズ!良い知らせだ。近い将来、アナナスが治療薬の開発に成功する。ロウズの病気が完治して、元気に走り回れる日がくるんだ!」
「……え?」
 ヴァッサーゴは胸を落ち着かせ、首をかしげる彼女に改めて説明をしました。
 さっき、ロウズの病気のことが気になって、未来視をしてしまったこと。そこで、アナナスが治療薬を完成させたと知ったこと。さらに未来視をして、元気になったロウズをこの目で確かめたこと。
 事細かな説明を聞いたロウズは驚いた表情で聞き返しました。
「ほ、本当の本当に?」
「あはは、未来のロウズと同じこと言ってる。悪魔はたしかに嘘つきだけど、俺はぜったいに嘘をつかないさ」
ヴァッサーゴの未来視に外れがないことをよく知っているロウズは微笑みました。
「信じて……いいのね」
ロウズは嬉し涙を一粒ながすと、ヴァッサーゴに礼を言いました。
「素敵な報告をありがとう。その未来が待っているなら、私、辛くても頑張って生きていける」
「ああ、良かったな。元気になったらロウズがやりたかったこと、なんでもできるぞ」
「私がやりたかったこと……そうね。一番最初にやってみたいことは……」
ふたりは明るい未来に思いを馳せつつ、談笑にふけります。
ヴァッサーゴが興奮のあまり、ロウズの『辛くても』という一言をすっかり聞き逃していたことをのぞけば、明るく楽しい完璧な時間でした。

 それから数日後の午後。
 屋敷の庭の枯草の上でロウズとアナナスが寝転がっています。
『今日は冬とは思えない陽気だし外をお散歩しよう』とアナナスの提案で屋敷の庭に出たものの、
散歩しているうちにぽかぽかとした陽気が気持ちよくなり、足元のやわらかい枯草に誘われ、気付いたらふたりとも仰向けに寝転がって話し込んでいたのでした。
 枯草の甘い匂いと肌をくすぐる感触が心地よく、ロウズはすぐ横にアナナスがいる安心感も手伝って、今にも眠り込んでしまいそうでした。
現実と夢の境目が溶けるように曖昧になってきたとき。
「ロウズ、ここ最近元気ないよね?」
「え?」
アナナスの突然の質問にはっと我にかえりました。
「えっと、別に……なんともないわ」
「本当かな?」
「うん。本当に」
「……嘘ついてる。ロウズってはすぐ顔にでるんだから。ま、言いたくないことなら無理に言わなくてもいいけどね」
 しどろもどろとした態度のロウズを見て、アナナスはため息をつきました。
「そうそう。いいものがあるよ」
彼女は胸元から金のメダルがついたペンダントを取り出しました。上半身を起こし、それをロウズの首にかけてあげます。
「このペンダント、子供のころ祭儀のお手伝いをしていたら、お礼にって司祭さまがくれたもので、気に入ってるんだ。ロウズにあげる」
「え、いいの?大切なものじゃ……」
「いいのいいの。ロウズがもらってくれるのなら、そのペンダントも喜ぶよ」
 それから、アナナスはロウズの手をとり、メダルの部分に人さし指を触れさせました。ひやりとした感触。メダルの中に描かれた優美でなめらかな曲線をなぞり、絵柄を確認します。
「これは……少女の横顔?」
 アナナスが頷きます。
「メダルに彫られている女神さま、少し幼いけど雰囲気がロウズに似てるんだ。ほら、教会でよく聞く神話にでてくる、輪廻転生の女神サティ。きっとロウズのことを見守ってくれてるよ。友情の証に持っていて」
 元気のないロウズを励ましてくれているのでしょう。そんな優しい親友が近い将来、自分の病気を治す治療薬まで開発してくれることになるのですから、心から感謝するしかありませんでした。
「ありがとう、大切にするわ」と嬉しそうに微笑み、メダルを丁寧に撫でます。
(アナナスにはいつも助けられてばかりね……今こうしてこの町で安心して過ごせるのは、すべて彼女のおかげだわ)
 ロウズは成長と共に自分の能力のことを察して、自ら他人と距離をおき心を閉ざすようになっていましたが、アナナスがいつもそばにいたので寂しくありませんでした。
これからもずっと一緒にいたい。そう思える親友でした。

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