■1章|7

 それから一か月後のこと。
「お嬢様、3時頃にジル様がお見えになられます」
 昼下がり、自室でレコードを聴きくつろいでいたロウズは、メイドの報告に体を堅くしました。
(あの人が来る)
「お召し物はこの、赤いサテンのドレスを用意しました。先日、ジル様は赤が好きだとお爺様に話されていたのを、同僚が耳にしたそうですよ。きっとお喜びになられます」
 ロウズは首をふりました。
「寝間着のままでいいわ」
「そう言いましても、先日も寝間着のままでしたよ。お嬢様はとてもお綺麗ですし、勿体ないです。お洒落などなさってみたらいかがかと」
 眼鏡のメイドと違い、まだ若いマリィはロウズと年が近いだけによく喋ります。しかしその内容はいつも一方的なものでした。
 ロウズは少し疲れたように「ありがとう。でも、今はそんな気分ではないの……」とつぶやきました。
「そうですか……では、次の機会に」
 しぶしぶ部屋を出ていくマリィの足音を聞いてほっと息をつくと、ジルの顔を思い出し、顔をゆがめました。
(あの人の好みの服を着るなんて、ぜったいに嫌)
 ロウズには祖父が決めた婚約者がいます。
 近所に住むジル・フォートナー。

 甲斐甲斐しくお見舞いに来てくれるのですが、それは演技であって本当は町の名家であるブレア家の財産のことしか考えていません。過去視で彼の悪行はお見通しです。隣町で仕事をしているという話ですが、それも大嘘。日夜悪い仲間とつるみ、弱い人間から金をだまし取り、酒と女遊びに明け暮れていることをロウズは知っていました。
 しかし外面が良く、恵まれた容姿と巧みな演技力で人をだますことが得意な彼は、ロウズの祖父も口車にのせ、半年前、彼女の承諾なしに婚約までとりつけてしまったのです。
(あんな、お金と自分のことしか考えていない人と生涯を共にしなければならないなんて、ぜったいに嫌よ)
 でもロウズはこのことを周りに言えませんでした。言ったところで『なぜそうと言い切れる。証拠を出せ』と言われるのが関の山だからです。
(過去視のことを言っても気味悪がられるだけだし、この体じゃ、証拠だってつかみに行けないわ)
 隣町に通学するアナナスに協力してもらうという手もありましたが、それはすぐに頭からかき消しました。
 なぜなら、ジルはアナナスの初恋相手だったからです。小さいころからその話は彼女からよく聞かされていたので、ロウズもずっと誠実な男性なのだと思い込んでいました。
 お見合いの時に過去視をして、ジルの本性を知るまでは。
 アナナスに婚約の報告をした日のことを思い出します。
 彼女は驚いた声で『ロウズがジルと!?』と言った後、少し残念そうにこう続けました。
『そっかあ。ちょっとショックだけど、ジルってかっこよくて好青年だって近所から評判いいもんね。お爺さんが彼を選んだ理由がわかるなぁ。なんか、ロウズにお似合いすぎて嫉妬すらわかないや。きっと幸せにしてもらえるよ』
 そう嬉しそうに祝福してくれた彼女。
(初恋の相手があんな人間だったなんて、真実を知ったらきっとアナナスが傷つくわ。絶対に言えるわけない)
 ため息をつきます。
「どうしたらいいの……」

 3時になりジルがメイドに案内され、部屋にやってきました。
 マリィが室内まで一緒に入って来ようとするのを彼は「ここまででいいですから」と紳士な態度で制しました。
 ふたりきりの面会。いつものことです。
 メイドの足音が去るのを確認すると、態度を一変させこう言いました。
「よう、ロウズ、相変わらずしけた面してんな」
「目は見えないけど、きっとあなたも酒焼けしたひどい顔をしてるんでしょうね」
「ひでえ言いようだな。酒なんて昼間から飲んでるわけないだろ。今日はプレゼントがあるんだ」
 そう言い、手に持った大きな箱を開け、ベッドに光沢のある豪奢なドレスを広げました。
自分のためを想った贈り物ではなく、明日出張から帰ってくる祖父への好感を上げるための道具。ロウズはすべて理解していました。
 彼女はドレスの形を手で確認すると顔をゆがめます。背と胸元が大きく開いたもの。明らかにこの男が好みそうな服でした。
 ジルはロウズの横に腰かけ、なれなれしく肩を組んできます。酒の匂いが鼻を突きました。

「赤のドレスだ。お前に似合うと思ってな」
「私に似合うんじゃなくて、あなたの好みなだけでしょう。それに、こんなに高価そうな服、どこで手に入れたの。まともに働いて買ったものではないのでしょう」
「お前はどうしていつも理由もなく突っかかるんだ。もちろん隣町で働いて手にしたものさ。結構高かったんだぜ。将来の良き夫に感謝しろよ」
 ロウズは怒りがこらえきれず、閉じた目をつりあげました。
「私はあなたの妻になんかならないわ」
「お前、いまの自分の立場がわかってんのか?自分ひとりじゃなにもできないくせによく言えたもんだな」
 ロウズはその言葉に傷つきましたが、涙をこらえて気丈に彼を睨み続けました。
「そうかいそうかい。まあ、少々抵抗されたほうが燃えるってもんだ」
 ジルは小馬鹿にしたように笑うと、おもむろに腕を伸ばし、ロウズの胸を触ろうとしたので身じろぎして逃れようとします。
 先刻、メイドを追い返したのには理由がありました。彼はロウズが病気で不自由なのをいいことに、いつも体を触ってこようとするのです。
「そう嫌がるなって。寝間着は子供っぽいが、お前、顔はなかなかの美人だからな。体のほうもさぞ美しいんだろうよ」
 ジルは酔った声でそう言うと、もう片方の手を彼女の太ももに伸ばしました。
 指が触れた瞬間、背筋がぞくりとします。
「やめて……!」
 ロウズは暴力を嫌っていましたが、我慢しきれず、彼の手を強く叩きました。
 手をさする彼を見えない目でにらみつけながら凛として言いはなちます。
「これ以上触ってごらんなさい。叫んですぐにメイドを呼びだすから」
「はん、どうせ俺たち近いうちに夫婦になるんだぜ?こんな場面を見られたって今更、誰にも何にも言われねえよ。なにを嬌羞してるのやら」

 ジルはそういうと、強引にロウズの片腕をとり、もう片方の手でグイと顎を掴んで自分の顔のほうへ振り向かせました。
 唇を奪われる。そう思った瞬間、ロウズは顔面蒼白になり、心の中で叫びました。
(だ、誰か。アナナス……ヴァッサーゴ、助けて……!)
 そのときです。
 どこからか突き刺さるような視線を感じました。それもひとりじゃない。部屋中からいくつもの視線をかんじるのです。
 ロウズは(まただわ)と思いました。
 ジルもたくさんの鋭い視線を感じたようでロウズから身をひきます。
「なんだよ、これは……」
 広い室内を探し回り、視線の主を探すものの見あたらなかったので、まるで蛇に睨まれた蛙のように身を固くして警戒します。
 さきほどまでの威勢はどこへいったのかと思うほど、怯える彼の様子を察して、ロウズは説明しました。
「幼いころからこの部屋で時折、無数の視線を感じるの。いつも一瞬のことで正体はつかめないのだけど」
「なんだよそれ……気味が悪りい……きょ、今日はもう帰る」
 青ざめた顔をして、急いで部屋からでていく彼の足音を確認すると、ロウズはほっと息をつきました。
 もう視線は感じなくなっていました。
 怖かったけれど、ジルに唇を奪われずにすんだことは感謝しなければなりません。
「けほ、けほ」
 緊張が続いたからか、とつぜん咳がでてきたので、体を休めるために横になります。
 ロウズは日々身体が弱っていくのを感じていました。
 物心つく前に視力を、5歳の頃に足の自由をなくした彼女。
(……次は何を奪われるのかしら)
 死の影におびえつつ、それでもアナナスが治療薬を開発してくれることを信じて待ちました。

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