■1章|8


 一方、アナナスは薬の開発に勤しんでいました。
 あともうすこしで、治療薬が完成しそうなのです。学校を休み、自宅の研究室にこもりきりになりました。
「ロウズ、辛いだろうけど待っててね」
 ここ1カ月で彼女の病気が突然悪化して一緒に遊べなくなり、アナナスはショックをうけました。
 のんびりしている場合じゃない。そう思っていた矢先のことだったので、完成の予感に安堵します。
 寝たきりのロウズのことを想いながら、ビーカーに入った液体状の治療薬を、丁寧に小瓶に移し替えます。
 小瓶に入った治療薬を満足気に眺め(これでロウズは助かる。同じ病気で苦しんでいる人たちも)と、そう確信しました。
「明日は学校へ行って担任の先生に薬の事を報告しよう。先生、喜ぶだろうなぁ」
 先生は唯一、研究の詳細を教えている人物で、薬学に詳しく口も堅いので、よく相談にのってもらっていました。
 アナナスは夜の8時をまわっていることに気付くと、おなかがきゅるると鳴りました。
(そういえば晩御飯食べてなかったや。研究に夢中になると、つい忘れちゃうんだよね)
 すこし休憩を取ろうと思った時、聞きなれたノック音がしました。
 最近はロウズに頼まれ、彼女の家のメイドのマリィが差し入れを持ってくるようになりました。もちろん扉の前までで室内への立ち入りは許可していませんが、彼女とはちょっとした顔見知りになりました。
「ロウズってば、今日もマリィに頼んでくれたんだ。昨日はベーグルだったっけ。今日はなにかな」
おいしい料理を想像すると、自然と口元が緩みました。
 病気で寝たきりになっても気遣ってくれる親友に感謝しつつ、扉をあけると、マリィが差し入れの籠を持って立っています。

 こんばんわ、いつもありがとう。とお礼を言おうとしたとたん、アナナスは眉を顰めました。
 今日は少し雰囲気が違っています。普段はふんわりとした印象の彼女がどこか冷たく見えたのです。
 それから、固い表情のまま、何かを探すように首をせわしなく動かしだしたので、アナナスは不安に駆られました。
「マリィ、どうしたの?なにか探し物でもしているの?」
 話しかけたら差し入れの籠をこちらに差し出してきたので、気のせいか、と思い受け取った時。
 彼女の目がするどく動いて、部屋の奥にあるアナナスが開発している薬を捕えました。そのまま視線を移し、アナナスをじっと見つめてきます。
「……!」
 心なしかメイドの目が不気味に光って見えたので、驚いて勢いよく扉を閉めました。
 耳を澄ますと研究所から離れていく足音が聞こえたので、ほっとします。
「さっきのは何だったんだろう」
アナナスは胸をなでおろしながら、きっと疲れているんだ。と、動揺を誤魔化しました。

(あの薬で間違いない)
 そう思いながらマリィは厳しい表情で研究室から離れました。人気のない場所までいき、目を閉じると意識を集中させます。
 すると彼女の体の中から仮面をつけた小さな天使がするすると抜け出てきました。

 霊体である彼がマリィの体を依代にし、意識をうばって操っていたのです。
 やわらかい表情に戻ったマリィは「私はどうしてこんなところに」ときょとんとしてブレア家の屋敷へと帰っていきます。
 小さな天使は彼女を木陰から見送ったあと、アナナスの作った薬を思い出し、仮面の下で顔をしかめました。
「数週間前からこの地域で不穏な気配を感じていたが、正体はあれだったか……事が起こる前に、排除せねば」
 天界にいる神々へすぐさま報告へいかねば、と翼を広げ、空へ飛び立ちます。
 その後を追いかけるように、ひとり、ふたりと仲間の天使たちが、町中の花や木や動物からするりするりと抜け出して、空に舞い上がりました。
 青白く輝く彼らは、やがて深い夜空に溶けるようにして去っていきました。


 その頃、ヴァッサーゴは冷たい牢の中で、魔界にいた頃の夢を見ていました。天界の者、天使たちに、大勢の仲間が殺される夢です。
 本来、悪魔は不老不死なのですが、天使には悪魔を殺す力が備わっていたのでした。
「ない…ない…」
 ヴァッサーゴは戦場で片腕を失い、ボロボロになった体で必死に悪魔たちの亡骸からあるものを探していました。
「みんな、使い果たしてしまったのか」
 諦めかけたその時です。ひとりの悪魔の遺体の手元に血の入った小瓶を見つけました。
「ああ、あった……!これで助かる!」
 人間の血が入った小瓶。人間界の生物の血には悪魔の傷を癒す力がありました。
 戦に赴く悪魔はみんな所持している品ですが、ほとんどが使い果たされ、今はもうこの一本しか残っていないのだろうと推測しました。
 急いで飲もうとしたとき、顔に衝撃が走りました。
 ヴァッサーゴ以外に生き残っていた悪魔が、突然彼に殴りかかったのです。
 ひとり、ふたりと生き残りの悪魔たちが起き上がってきて、血の入った小瓶に群がりました。みんな我を忘れて、お互いを殴り、蹴り、斬りつけて血を奪い合っています。
 ヴァッサーゴはそれを呆然と眺めながら、頭に響いてくる彼らの心の叫び声を聞いていました。
 死にたくない、死にたくない、死にたくない……

 ヴァッサーゴはうなされ、冷や汗をかきながら目を覚まします。
「ああ、またあの頃の夢か……」
 ぐっしょりと汗で濡れた顎を手でぬぐいます。
 魔界にいたころは王子として軍勢を率い、天使達と最前線において対抗する日々でした。
 初めの頃はまるでゲームでも遊ぶように戦自体を楽しんでいました。
 しかし、何億年と永久に続く戦いの中、大勢の仲間を失っていったヴァッサーゴは次第に戦に意味を見いだせなくなります。
 天界を手中におさめたいと、野心を抱く兄のアガレスともそりが合わなくなり、一度だけ天界の者を庇ったことから、王からも反感を買い、それでも王子としての立場を強要され戦場に立たされました。
 そんな日々に嫌気がさし、自由を求めて人間界に逃げて来たというのに、あっさり司祭につかまって幽閉されてしまったのでした。
 もう牢にはいってどれほど経つのかわかりません。
 誰からも、自分さえも存在を忘れかけた頃、唯一気付いてくれた人がロウズでした。
 彼女と話していると、まるで姿形を取り戻すように自分自身を強く意識でき、生きる力がわいてくるのでした。
「ロウズ……毎日のように訪ねてきていたのに、ここ最近、ぱたりと姿を見せなくなってしまった」
 ヴァッサーゴは落ち込んだように顔をふせ、それからはっとしました。
「まさか病気が」
 あのとき確かに元気に走り回る彼女の未来が視えたので、近い将来、クローディア病は治るはずなのです。なのに、どうしてか胸がざわつきました。
 嫌な予感を振りはらうようにヴァッサーゴは起き上がり、月を見上げました。

 小さな天使たちが空の彼方に隠された天界への門をくぐり、彼らを使役する者のもとへと急ぎます。
 虹色の空を飛び、あるひとりの女神のもとに参じた天使たちは、彼女の前で行儀よく横一列に並びました。
 マリィを依代にしていた、あのときの天使が前に進み出ます。
 未来を司る女神アンテウォルテ。その巨人とも言える大きな身体を見上げてから一礼し、手の平の上までするりと飛んでいくとすぐさま状況を報告しました。

「アンテウォルテ様。アナナスという人間が、不治の病の治療薬の発明に成功しました」
 それを聞いたアンテウォルテは微笑み、喜びました。
「ごくまれに才能ある人間が偉業を成し遂げる。素晴らしいことだ。天使イシアイ、お前の未来を見通す能力のおかげで人間界の様々な未来が知られて、私は助かるよ」
 彼は「そこまではいいのですが……」と口ごもります。
「どういうことだ?」
「危機を予知しました。数週間前、私が担当している地域で異変を感知したので探っていたところ、その治療薬が原因だと判明しました。アナナスの作った薬と、その開発者である彼女が、今後人類にとって多大な危機をもたらす未来が視えたのです」
 彼は口調を強めながら、そう言いました。
 天使イシアイ。未来を視通すことができる彼らは人間界で起こる、さまざまな危機を事前予知・察知できる能力をもった天使たちでした。
 天界から遣わされた彼らは、神々の命令で各地に点在し、常に人類が最善の道を歩めるように、下界をずっと見守っていたのでした。
 不穏な報告にアンテウォルテは目を見開くと、話を促しました。
「続けてくれ」
「アナナスの作った薬はたしかにクローディア病を治します。それによって大勢の命が救われることでしょう。しかし、長期にわたって使用し続けると、免疫力が高まり細胞が活性化し続けて、死そのものがなくなってしまうのです」
「つまり……」
「はい。彼女の作った治療薬は、最終的に不老不死になる薬となります」

 アンテウォルテはとたんに眉根をひそめました。
 人類が新薬の本質に気づいて、皆が使用しだすのは時間の問題に思えました。彼らははるか昔から、永遠の命に憧れを抱いているからです。
 アンテウォルテは考えます。
(死がなくなること。それは人類にとってはたして良い結果をもたらすだろうか)
 イシアイは報告を続けます。
「それ以上に重大なことがあります。最たる問題は薬の副作用にありました。あの薬を使い続けると免疫力が高まり、細胞が活性化し続けていくと同時に、ある感情が萎縮していってしまうのです。それは恨み、嫉み、憎しみといった、人が精神的緊張を感じ、免疫力の低下につながる負の感情……」
 それから目を伏せ、厳しい声音でこう告げたのです。
「私が予知した危機的な未来。それは人々から負の感情が消え、争いの無くなった世界でした」
 いよいよアンテウォルテの表情が険しくなります。
 死や争いが無くなり、幸せな世界が訪れること。それは人間が従来通りに生きられなくなることを意味していました。
「この未来は排除するのが妥当ではないでしょうか」とイシアイは問います。
 アンテウォルテは唸り「私たちだけでは判断しかねる。他の神々を集め会議を開かねばならない」と厳しい口調でこたえました。

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